Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(04)

(04) 強烈大集合inミコノス

2013年8月31日 土曜日
 
  
●1. いかにもミコノスらしい景色たち
 ミコノス3日目。
 昼間はミコノス・タウンを再び散策して、島の北側にあるパノルモス・ビーチで遊んだ。
 
 ミコノス・タウンへの道中(とはいってもバギーでほんの10分ほどであるが)、丘の上からミコノス・タウン方面へ下っていく道がある。ここから見下ろす景色はきっと誰が見ても美しく、忘れられないものになると思う。そのくらい美しく開放的である。実際、何組かのカップル(これはゲイ・カップルも含まれる)たちは写真を撮っていた。私たちももれなく写真撮影した。
 
 ミコノス・タウンは白い建物をベースに店内はカラフルで素敵なセンスのショップが迷路のような道にこまごまと立ち並び、歩くだけで本当に美しく楽しい街だ。
 ショップ達の迷路を抜けてすぐの海沿いの白い教会のそばでは、青い空と碧い海をバックに、白い海鳥の群れがじゃれあうように空を舞っていた。
 なんと美しい光景!
 
 それにしても、海鳥たちは何をしているのだろう?
 
 教会の裏にまわると、海の岸にあたる岩場があった。
 そこでは2人の麦わら帽子をかぶったおじさん(これは遠かったのでゾルバかどうかは不明である)が釣りをしていた。
 彼らは小さな岩をいくつも並べてサークルを作り、その円の中の海水に、釣って死んだ魚を放りこんでいた。
 もちろん、ときどきは、釣れた魚を自分たちのバケツにも入れていた。
 それでも、釣った魚の大半は、その不思議なサークルの中に投げ込んでいた。
 海鳥が群がっていたのは、この魚にたいしてであった。
 なんともいえぬ素晴らしい景色の舞台裏は、こんな具合の食物連鎖の世界だった。
 
 それから、小腹のすいた私たちは、フローズン・ギリシャ・ヨーグルト専門店を見つけて入った。きちんとテーブル、椅子、ソファもあり、オープンテラスで食べられる。これが美味だった。フローズンなので、最初はさっぱりしている。けれど、食べても食べてもあっさりはしない。ギリシャ・ヨーグルトの濃厚さがこれでもかと最後まで残っている。
 
 そのお店では、おかしな体型の男を見かけた。彼は上半身裸で下は海パンで店内を誰かを探すようににこにこぷらぷらと歩いていた。これも毛深さについてはゾルバ風ではあった。背は高く、下半身はすらっと細く、顔も標準的な、どちらかといえばやせている方の顔だった。しかし、問題はその上半身だ。細い胴体の上で、胸とおなかが異様に垂れているのだ。
 
 私たちは彼をしばらく見守った後、互いに顔を見合わせて、
 「どこかが変じゃない?」
 と話し合った。
 結果、彼はダイエットに失敗したのだという結論に至った。ダイエットを急激に行った結果、おそらく皮膚がついていかなかったのだろう、と。
 

●2. 手遅れのゆでだこ
 島の北のパノルモス・ビーチへは再びバギーにのっかって向かった。おおよそ30分〜40分はかかっただろうか。北側へ向かう道中は、いわゆるミコノスらしい白壁と青というよりは、緑のない茶色の山肌が延々とつづき、ぽつぽつとだけ白壁の建物が点在する、壮大な、やや荒っぽい、道のりである。しかし、わたしはこれはこれですごく好きだった。
 
 パノルモス・ビーチは、南のパラダイス・ビーチやスーパー・パラダイスビーチよりもずいぶんと落ち着いた印象のビーチだった。海の美しさは変わらず、透明である。ゲイの人たちの数がおそらく少なかったかと思う。このビーチ・サイドで食べたフライド・ポテトがこれまた美味だった。これは個人的にはフローズン・ギリシャ・ヨーグルトに勝る美味しさだった。何が美味しいって、ソースが美味しいのだ。マスタードとマヨネーズをまぜたような味、でもそれだけではなく何らかの酸味やドレッシングのような味わいもある。もちろん、ジャンクでないとは言わない。しかし、家で再現してみたい味であった。
 
 このビーチでは、泳ぐというよりは、ビーチ・サイドでたらたらしていた。わたしは、ヘッセの「デミアン」を読んでいた。夫は春樹の「遠い太鼓」を読んでいたと思う。何ということもなく過ごしていたら、ふと目をあげたその先、私たちの目の前のパラソルの下には、ゆでだこがいた。正確には、ゆでだこのように頭を真っ赤っ赤に日焼けした、つるつる坊主の太った男性がいた。
 
 しばらく観察していると、隣の女性(おそらく恋人か奥さんだろう)が、ゆでだこの頭に日焼け止めをせかせかと塗り始めた。しかし、これは手遅れの処置であることは誰の目にも明らかだった。奥さんもゆでだこ本人も、その事実にすぐに気付いたのだろう。そのあと、奥さんはゆでだこの頭に白いタオルを巻き始めた。これも手遅れではあるが、見た目上ゆでだこであるということを隠すには有効な対策であった。
 
 気付いたら、夕陽の時刻になりそうだった。今日はミコノスの最後の晩だ。夕陽を逃すまいとやや急いでミコノス・タウンに戻った。例のリトル・ヴェニスの、ゾルバ三人グループが居座っていたほうのお店で、夕陽が落ちていくのを眺めながら夕飯をとった。夕飯は、サラダとエビのサガナキ、それからシーフード・リゾット。このサガナキというのはトマトソースとチーズをベースにした炒め煮込みのようなギリシャ料理だが、濃い味付けで、エビのエキスも存分に浸透していて、美味しかった。こう書いていると、この日は美味しいもの三昧だったんだなあ。
 
 スペインのパーティーアイランド、イビサ島とは異なり、ここミコノス島では夕陽を眺めながらのカフェやレストランで、素敵な音楽はかからない。
 それでも、これはこれで素朴な良さがある。海の音が聴こえる。さらに小さな防波堤まがいの海沿いの壁に強い風で打ちつけられる波の苛酷な音もよく聴こえる。しまいには、その波の苛酷さには笑いがこみあげてくる。そのくらい苛酷である。
 波が苛酷すぎて、小さな防波堤を飛び越え、カフェにも水が飛び散ってしまっている。この日は特に波が強かったようで、途中から、さすがのゆるゆるな空気をまとったギリシャのウェイターたちも、その約5メートルくらいの強波エリアは座ることを禁止した。
 
 最後の晩だし一遊びしよっか、と、クラブの情報を探した。ホテルでは、インターネットにアクセスできた。極力、インターネットは使わないように私は心がけていた。なんとなく、旅行ってそういう風にしたいのだ。しかし、クラブに行くならやっぱりいい音楽かかってるところに行きたい。そしてクラブの情報は、ガイドブックには載っていない。そういうわけで、インターネットをやむを得ず使う。
 
 SPACEというクラブと、一昨日行ったカヴォ・パラディッソが候補にあがった。SPACEはなんとこの日がラスト・パーティーだった。この日で閉店だ。偶然ではあるが、2年前のイビサ島の旅行のときに、SPACEというクラブがめちゃくちゃよかったという記憶がある。なので、SPACE、ラスト・パーティー、といわれるとがぜん盛り上がった。しかしながら、カヴォ・パラディッソのこの日のDJがAgent Gregという人で、夫がなんとなくきいたことがある、確かかっこよかったと思う、ということであった。かくして、私たちは、再び、魔のカヴォ・パラディッソ道中を行くこととなった。
 
 
●3. 強烈オンパレードinミコノス
 しかし、今回は夫が道を覚えていてくれたようである。全く迷わず、バギーですぐにカヴォにたどり着いた。と思ったら、まだクラブ自体が開店していなかった。時刻は夜の11時。
 「あと1時間後に来て」
 私たちはやむを得ず、すぐ下のパラダイス・ビーチのビーチ・サイドのクラブ「トロピカーナ」で時間をつぶすことにした。
 
 ここから、信じがたいほどに強烈な人々や出来事が次々と私たちに押し寄せてきたのだった。
 
 トロピカーナでは、私たちの隣で踊っていた白人のカップル(これはゲイ・カップルではなく、男女のカップルだった)の陽気な小男が、私たちに話しかけてきた。
 
 「僕はイタリア人。僕の恋人、すごくきれいでしょ。男はやっぱりこんな風にしてあげないとダメだよ!」
 
 そういって、自分の恋人の背中に手を回し、抱きかかえるようにして正式な社交ダンスのように恋人の背を後ろにぐいーんと反らせる。これを何度も何度も延々と繰り返し、笑いながら私たちに見せてくる。
 要はお調子者である。
 最終的には夫もつられて、私にぐいーんをやっていた。
 
 このあたりは単に楽しい人々の思い出である。
 
 トロピカーナで時間をつぶして約1時間、カヴォ・パラディッソにもう向かってもいい頃だろう。実際、トロピカーナの人々もカヴォ・パラディッソにおそらく流れ始めていた。
 私たちはトロピカーナ入口に停めたバギーにまたがり、カヴォ・パラディッソに向かう急な坂道を上った。
 あと20メートルでカヴォ・パラディッソ到着である。
 そこで、我らがバギーは、ガス欠を起こした。
 
 「やばい、ガス欠じゃ」
 
 自分たちの目と耳を疑った。動かない?バギーが?
 
 気持ちは愕然とする。
 
 しかしまだ現実に気持ちが追いつけていない。
 
 とりあえずは、カヴォ・パラディッソに到着し、停車しなければ。
 
 夫はバギーから降り、私にバギーにのってハンドルをとってくれと指示した。彼は後ろから押すから、と。
 私は指示通りハンドルを切って、彼はうんうんうなりながらも、無事、なんとか、20メートルの距離を押し切って、バギーはカヴォ・パラディッソの駐車場に停車した。
 
 ほっとした私たちは、ようやくここで、気持ちが現実に追いついた。
 
 
 ここまで辿り着けたのはいいけど、帰りどうする???
 
 
 カヴォ・パラディッソは、ホテルからバギーで20分〜30分かかる場所にある。バギーが時速30キロと仮定して、徒歩が時速5キロとすると、これは歩くと3時間ほどはかかることになる。
  
 これは完全にトラブル発生である。
 「パスポート事件」に続く、リアル・トラブルである。
 
 ガソリンスタンドでガソリンを買って、何か容器に入れて持ってくればよいが、こんな深夜にはミコノスではガソリンスタンドはもちろん開いていないと思われる。
 
 ガソリンスタンドが朝開いた頃にタクシーでガソリンスタンドまで行って、ガソリンを何か容器に入れてカヴォ・パラディッソまで戻ってきて、バギーに入れる。これは考えられうる案だが、タクシーはミコノスでは総数20台ほどしかないらしく、この観光シーズンの明け方にタクシーをつかまえるのは至難の業とのこと。
 あとは明け方バスでいったんガソリンスタンドに行って、ガソリンを買ってバギーまで戻ってきて、バギーに投入。これが現実的な案か。
 ただ、問題は、翌朝8時には私たちはホテルを出発しないといけないということだ。そう、翌朝には私たちはミコノスを発って次の島へ出発する予定なのだ。
 私たちは、念のため、カヴォ・パラディッソの敷地内にあるジャンク・フード店を営む家族に、こうこうこういうことが起きたのだが、どうにかできないだろうか、何か手立てはあるだろうか、と相談してみた。しかし彼らの答えは空しく、残念だけど、朝まで待つ以外はどうにもしようがないよ。あるいは、そこにカヴォ・パラディッソの駐車場管理(?あるいは案内?)をしている、パーキング・ガイがいる。そいつに相談してみたらどうかな?
 
 駐車場を見やると、確かに、パーキング・ガイはいた。彼はそれらしい蛍光色の入ったユニフォームを着て、何やら駐車場でここに停めてくれなどの指導をしていた。一見、忙しそうだが、ほとんどの時間は、仲間とみえる客やスタッフと立ち話をしている。
 彼に同じことを相談してみると、いかにも神妙な顔つきで、オーケー、ちょっと俺の友達に電話してみる。彼がガソリンをもってくることができそうか、きいてみるよ。ちょっとだけ待ってな。俺も今忙しいんでな。
 そう言われ、私たちは例の敷地内のジャンク・フード店のテーブル席にいったん座る。座ってパーキング・ガイの調整の行方を待つ。・・・。待つこと30分。パーキング・ガイからは何の音沙汰もない。彼はますます仲間との雑談に忙しそうである。
 
 彼はいかにも神妙な顔をしているのだが、その実は私たちのことを忘れてしまっているんではないかという感じのする男であった。それは神妙な「ふり」をしているのではない、あくまで神妙なのだ。しかし、1秒後にはどんなことも忘れてしまっている。つまり、常に記憶喪失状態にある。そんなような感じのする男だった。ぱっと見、彼は中肉中背で、毛深くもなければ薄い顔立ちでもなく、特別イケメンでもなければ醜いわけでもない。いわゆる地味で普通な外見である。しかし、内面からにじみ出るその特殊さは隠されておらず、極めて不思議な空気をまとっている男だった。
 
 そんなパーキング・ガイに私たちは待たされて30分後、どうなったのか。友達と連絡はとれたのか。と訊いてみる。この男、私たちのトラブルのことなんて忘れていたんではないか?そんな懸念を抱きながら。
 
 「あー、友達とまだ連絡は取れないんだ。もうちょっとあそこで待っててくれよ」
 無表情に言う。それから彼は少々早口でもある。
  
 なんとも言えず、すごすごとジャンク・フード店に後戻りする。そこしかカヴォ・パラディッソ敷地内で座って待てる場所はないのである。カヴォ・パラディッソ店内からはドン、ドン、とハウス・ミュージックが聴こえてくる。大きな音が外にもれているといった感じだ。早く入りたいなあ。そう思いながら、ほとんど無言で、時折、パーキング・ガイの不思議さについて夫とふたりで話しながら、パーキング・ガイからの報告を待った。
 
 さらに待つこと20分ほど。これはもうさすがに遅い。何らかの状況報告があってもいいはずだ。パーキング・ガイはもちろんみんなとのダベりに忙しい。それでもさすがにと思い、またこちらからヒアリングに行く。
 
 「うーん、今さ、まだ友達から連絡ないんだ。ちょっと待っててくれよ」
 
 本当に、その友達にガソリンをもってくることを依頼したのか、それすらよくわからない状況報告である。さらに、感情も何もない話し方でもある。まったく、この男を信頼して待っていて、よいことはあるのか?
 
 それから10分経っても、パーキング・ガイから私たちに報告に来る気配はない。さすがにもう1時間だ。クラブの中に入らないと楽しい夜も終わってしまう。
 ねえ、いったいどうなったの?
 
 「ああ、あの件ね。君たちね。ああ、友達、やっぱり、ガソリン持って来られないって」
 
 あっけない幕切れである。さっき状況を訊いてから10分しか経っていないのに、まるでこの件を忘れていたかのような表情である。本当にそもそもその友達とやらに訊いてくれたのだろうか?もちろん、親切心で動いてくれたこのパーキング・ガイに文句を言える立場ではない。しかし、それでも彼はソーリーも言わず、笑顔も見せず、悪気も一切なく、自発的に状況報告をしてくれるのでもなく、まったく何を考えていて何を覚えているのか、きわめて謎な男だった。本当に一秒一秒、記憶がリフレッシュされて、何も覚えていない、何も感じない。何を言っても響かない。それでも一瞬一瞬を真剣には生きている。そんな男であった。
 
 無理とわかれば、もう、夜を楽しむしかない。そして、ガソリンのことは朝、なんとかバスかタクシーかで早朝にガソリン・スタンドに行って入手するしかない。
 
 カヴォ・パラディッソのこの晩のDJは、Agent Gregという男と、もう一人別の男だった。Agent GregのDJは素晴らしかった。彼個人の好みの選曲は、渋めだが盛り上がるハウスである。ただ、客にあわせて、ヒットチャート曲をリミックスしたような、より、場を盛り上げるような曲も、時おり場の雰囲気をみながら混ぜてくる。フロアもだいぶ盛り上がって、私たちも踊りまくっていた頃、おどけた踊りを絶え間なく続けて相手の女性を常に笑わせている、これまたお調子者の男がいた。トロピカーナで恋人の背中をぐいーんとやっていたイタリア人を思い出し、私たちはこのお調子者もイタリア人だと決めつけた。
 
 カヴォ・パラディッソにも、ゲイの人たちは多くいたように思う。ただ、ゲイの人たちは、人前でキスを交わしたり、ということはしないようだった。あくまで私がミコノスにいた間ではあるが、たくさんのゲイの人たちを見かけたが、ほとんどの人たちが本当に鍛えられた美しい肉体を有しており、清潔感があって、そして人前でのキスというのはなかった。
 
 そしてカヴォ・パラディッソには、レズビアンもいた。レズビアンというのはゲイよりも見た目や雰囲気でわかりづらいと思う。だから、ミコノスの街中では、あまり気付かなかった。しかしカヴォ・パラディッソではこれとわかるレズビアンを目にした。金髪のやや品の悪い派手なドレスを着た中年白人女性と、おとなしそうな黒髪の20代とみられる白人女性。二人は久しぶりの再会といった様子で、オーマイガー!的な大げさなリアクションの後、人目をはばからず、フロア脇のテーブル席あたりで抱き合い、長い長い長い長いディープキスをした。舌をからませる様子が見えた気がした、それくらい激しいキスだ。
 同性を愛そうと、異性を愛そうと自由だし、どんなキスをしたって自由だ。
 
 ただ、問題はこの後だった。
 
 しばらく私たちがフロアで踊った後のことである。私はトイレに行った。トイレの入り口には、外国ではたまに見かける、トイレットペーパーを渡す代わりに小銭を物乞いするような女性がずっと無言かつ無表情で突っ立っていた。このトイレットペーパーレディはかなり大柄で、それなりの威圧感がある。これはクラブの人間でチップを要求しているのか?あるいは個人で物乞いとしてやっているのか?よくわからない。とにかく、彼女をスルーして、私はトイレの列に並んだ。トイレは右に2つ、左に2つで、合計4つしかなく、カヴォ・パラディッソは人であふれかえっていたので、結構な人数、10人ほどの女性が並んでいたように思う。
 
 と、そのときである。並んでいた列の、とある女性が、後ろからカツ、カツ、とヒールで歩いてきて、大声で「ああー、もう、我慢できないわよ!こんな長い列!」と叫ぶように愚痴っている。並んでいる私をそのまま通り越して、右2つ左2つのトイレの間のスペースまで彼女は歩いて行った。
 
 そして、そこで、である。
 
 なんと、彼女はその場で下着をおろして、座り、用を足し始めたのである!!!
 
 10人もの女性が並んで見ている中で、である。
 
 しかも彼女は後ろもむかず、並んでいる私たちを凝視しながら、用を足しているのである。
 
 「ああー、もう、こんなの我慢できるわけないじゃない、ねー!ああー、すっきりした・・・」
 
 とかなんとか言いながら。
 
 これは、驚愕の光景だった。
 
 驚愕の中、なんか見たことある人だなあと思ってよく思い出すと、この女性は例のレズビアンカップルの金髪中年白人女性だった。
 さすが、品のないドレスを着ているだけある。
 いや、そういう問題でもない気もする。
 とにかく、わたしは前代未聞の嫌悪感を抱えてトイレを後にしたのだった。
 
 そしてその後、私はさらに衝撃的な絵を目にした。
 これは下品さはまったくない。
 ただ、ある意味では先のトイレレズビアン女以上の衝撃だった。
 
 再びフロアで踊って盛り上がっているとき、キュッと巻いた真っ赤なバンダナがひときわ目立つ、柔らかそうな金髪を超短髪にした若い男が、誰かを探すように、目を丸くしてにこにこしながら、それでも音楽にはのって踊りながら、やや不自然とも思えるガニ股で、うろうろと歩き回っていた。バンダナはカチューシャ風に下から上に巻かれて、頭の右上でピョンッとリボンのようになっており、彼は背は低めだが顔は愛嬌のある可愛らしい顔をしていたため、きっと愛されるべきお調子者といった感じでバンダナを巻いたのだろうといった雰囲気だった。10分ほどして彼を再び見かけたときには、きっと探していた相手なのだろう、いかにもガーリーな雰囲気の可愛い女性と一緒に微笑みながら踊っていた。
 
 私たちもまだフロアで踊りながらではあったが、その二人が踊っている光景を眺めていると、なんとなく私は目が離せなかった。なんというのか、とっても美しかったのだ。それと同時に、何らかの違和感が彼らのまわりから感じられた。彼のそのガニ股な身のこなしと彼の美しさとが、何らかの矛盾を起こしていたのだ。
 
 しばらく見ていて、私は思った。
 
 この人は本当は女性なのではないか?
 
 このガニ股には、何らかの無理がある。
 
 それから、私は余計に彼から目が離せなくなった。いや、もっと言うと、目で追っていた。つぶさに観察していた。顔の輪郭や肌。これらは女性のようだった。手や足の大きさ。肩幅。すべて、骨組みは、女性サイズだ。
 それでも、彼女は精一杯、男性であるように振舞っているのだ。身のこなしから表情まで、彼は立派な男性だった。
 
 私が目にしているのは、性同一性障害というものなのだろうか?
 
 単なる興味で彼を観察し続けるのは失礼すぎる(おそらく彼というほうが失礼にあたらないのだろう)。
 そして決めつけるのも失礼であることもわかってはいる。
 
 しかし、彼は本当に美しかったのだ。
 女性の私から見ても、顔立ちから何から造形が美しかったし、何よりその表情はきらきらと輝いていた。
 
 観察し続けるのは失礼にあたると、私は彼から目をそらし始めた。しかし、時折、気になっては目で追ってしまう。
 
 すると、何やら彼は相手のガーリー女性を怒らせてしまったらしく、女性がフロアから去っていき、それを彼が追いかけている。つかまえて、何やら話しこんでいる。彼は女性の目を優しく覗き込み、大丈夫だよ、と伝えている、そんな雰囲気である。
 
 ここからは私の勝手な想像であるが、彼は女性であることを、相手のガーリー女性に伝えたのではなかろうか。そして、ガーリー女性はびっくりしたのとショックとやらが入り混じって、フロアから去ろうとした。それで、彼は「ちょっと待ってくれ。ちゃんと僕の話をきいてくれ」と引きとめた。
 
 とにかく、穏やかな雰囲気で話をしていたようであるが、仲直りはできたのだろうか。
 
 そんなこんなで、踊っていたら、時刻は朝の4時を過ぎていた。そろそろ、帰ろうか。クラブを出る。外はまだ薄暗い。
 と、ちょうどそのとき、駐車場の下り坂を、仲良く肩を組んで下りていくカップルが見えたのだ。それは、まぎれもなく、あの赤いバンダナの美しい彼とガーリー女性のカップルだった。
 仲直りできたんだ!
 私は心から嬉しかった。
 
 
 さて、ここからが問題である。バギーはガス欠である。どうやって帰るか?
 明け方から、バスが定期的に来るはずだから、待つしかないよね。それで街に戻ってガソリン・スタンドでガソリンを買ってこよう。
 例のジャンク・フード店のテーブル席に座る。夫はとりあえず煙草をふかす。ふぅ。
 
 と、そのとき、ジャンク・フード店の横のカヴォ・パラディッソに向かう階段のところで、何やら女の大きな泣き声が聞こえる。見ると、一人の女性客が座り込んで立ち上がれなくなっており、男性警備員スタッフ二人で体を支えてあげて対応している様子である。 「足をくじいちゃったのよー。わんわんわん。一人で歩けないー。わんわんわん」
 大声で泣くその女は、またしてもあのトイレ騒動兼レズビアン女だった。金髪の中年女性が、いったい何をわんわんやっているのだ。
 
 すると、もうそんな時間になったのだろうか、バスが1台駐車場に入ってきた。私たちはバスに駆け寄る。
 「もう、バスに乗れるの?」
 「いや、まだだ。5時からだ。とりあえず5時からのために、今来ただけだ」
 
 がっくりとして、ジャンク・フード店に戻ろうと歩き始める。ただ、5時からはバスが動く。それが確定したことが私たちに小さな希望を与えたところだった。
 と、そのとき、あのパーキング・ガイが現れ、私たちに声をかけた。一見、何の変哲もない彼ではあるが、依然、彼からは特殊な、というか異様な空気が放たれていた。
 「おお、君たちのこと、覚えてるよ。大丈夫そうか?」
 「うん。バスが、今は出ないらしいんだけど、後で出るらしいから・・・」
 「俺がいったん街まで連れてってやるよ。カム・ヒア!」
 
 彼は言葉少なにくるりと背を向け、自分の車へと私たちを誘った。
 その背中は潔く、ある種、感動的ですらあった。
 私たち夫婦は思わず目を丸くして、「えっ?!」と顔をみあわせた。
 あの頼りない、何を考えているか一切不明のパーキング・ガイがまさかこの最後の最後に親切にも私たちを救ってくれるなんて。


「どこのホテルだ」
「ペティノス・ビーチ・ホテル」
「オーケー、場所わかるから」


 無駄のない動きと会話で車は出発する。車は私たちのまったく知らない細い裏道のようなところをするする通り抜ける。


「近道だ」
「地元の人なの?」
「そうだ。ミコノスに住んでる」
「冬も?」
「そうだ。妻と娘がいる」
「学校、あるんだ」
「ある」
「生徒は何人くらい?」
「1クラス20人くらいはいる」
「仕事中だったでしょう?駐車場の。抜けちゃって大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。あの仕事も結構きついけど、給料安いんだ」
「へぇー。どのくらい?」
「一晩やって50ユーロだよ」
「うーん。それは確かに安いといえば安いね。でもギリシャでは普通くらい?」
「よくわからん。でも俺は妻も娘も養わなくちゃいけない。ミコノスの物価は高い。その生活に対してはやはり安い」
「うんうん」


 そんな彼の事情をきいていたらあっという間にホテルに着いた。


「20ドルだ。2人あわせて20ドルでいい」


 ん?
 私たちは再び顔を見合わせた。

 そういうことか。合点がいった。それでも確かにお金を支払う価値はある。足がなかった私たちを救ってくれたのだ。私たちは喜んで20ドル払った。きっとあの生活苦しい話も、伏線だったのだ。そう思うと、笑えた。この謎のパーキング・ガイも、結局は金銭欲なのだ。なんだか微笑ましかった。

 彼はお金を受け取ると、さっさと仕事場である駐車場に戻っていった。

 これがおおよそ朝の4時半。私たちは深く短い眠りをとった。翌朝8時にはホテルを出る必要があった。さらに、その前にガソリンを買ってカヴォ・パラディッソまで行き、バギーに投入して、バギーを無事に返却する必要があった。その任務は夫に任せ、私は荷造りをした。
 なんとかすべてが間にあって、私たちは無事ミコノスの空港にたどり着いた。

ギリシャ・オランダ夏旅行(03)

(03) パラダイスビーチとスーパーパラダイスビーチ

2013年8月30日 金曜日

 
●1.流される
 ミコノス2日目。
 この日はビーチ三昧だった。
 昨晩、カヴォ・パラディッソを探すのに散々お世話になった、パラダイス・ビーチとスーパー・パラダイス・ビーチだ。
 
 どちらのビーチもパラソルとサンベッドがほどよい距離感で設置されていた。パラソルは、どちらのも茶色のやしの葉のような葉っぱが連なっている、モルディブタヒチにありそうなタイプ。リゾート感が高まる。
 
 パラダイス・ビーチは、昨晩目印となった「トロピカーナ」という有名なクラブがビーチ内に存在し、一日中鳴り響くパーティー音楽が海に入っていても聞こえてくる、にぎやかで陽気なビーチだ。
 ここでは、浮きベッドというのだろうか?長方形で大人が寝そべることができる大きさの浮き輪に、二人でつかまって、遠くまで泳いで遊ぼうとしていた。ところで、海に出たとたん、夫がカメラを忘れたことを思い出した。水中でも撮影できるカメラで、これは旅行では必須アイテムである。
 
 「カメラ取ってくるから浮き輪にのっかって待ってて」
 「オッケー」
 
 うつぶせにその浮きベッドに乗っかったわたしは、太陽の光と強い風を浴びながらとても心地よくなり、うとうとしていた。
 夫の戻りをなんとなく遅いなあ。とぼんやりと思いながら。
 
 はっっっ!
 気づいてビーチのほうを見やると、砂浜は遥か彼方にあった。
 夫の姿はもはや小さすぎてほとんど見えないが、ごそごそとビーチ・バッグの中をカメラを探しているような姿がかろうじて見える。
 
 「おーい!ちょっとー!」
 
 たくさんの人が遊んでいる中で、こんなに沖まで来ている人は他にいなかった。
 わたしは焦った。というか、怖かった。
 泳ぎには自信はある。ある程度は。ただ、わたしの強大な想像力は、こんな深いところまで来て、もしもサメとかマグロとか大きな魚が近づいてきたらどうしよう!という恐怖心にまで到達するのに一秒もかからなかったと思う。
 もはや、泣きそうだった。
 必死に浜のほうへと手で漕いだ。
 夫はのんきに今頃、海に入ってきたようだった。「あったよ!」と言っているのか、カメラを誇らしげに上で持って手を振っている。
 夫と私の距離がだんだん縮まってくる。
 夫の顔はめちゃくちゃに笑っている。
 一方で、私の顔はかなりの形相で、必死さと泣きそうなのとが混じっている。
 
 「めっちゃ泣きそうになっとるじゃん!」
 と笑う夫。
 
 「もう!何しとったん!?めちゃ怖かったんよ!」
 
 どうやら、カメラが見つからず、それでも探していたのはものの2〜3分だったらしい。それが、ミコノスのこの強風で浮きベッドが思いのほか遠くまで流されてしまった。
 
 「ちゃんと女として守ろうとしてくれてないから、こんなことになるんよ!」
 
 これがわたしの言い放ったずいぶんと勝手な一言だった。
 この「海流され事件」は、笑いのほうが大きすぎて、喧嘩にはならなかった。
 
 このようなハプニングがありつつも、後になってみれば笑えるレベルであり、パラダイス・ビーチは、海から見ると、にぎやかなクラブと、緑のない茶色い乾燥した山肌と、ところどころにギリシャらしい真っ白な建物が見える、個性的な楽しいビーチだったと思う。
 そのあと、昨晩とはちがって迷子にならずすんなりと到着したスーパー・パラダイス・ビーチも、ゲイの比率がより多いことを除けば、風景はよく似ていた。スーパー・パラダイス・ビーチでは、ビーチサイドのクラブで、ゲイの人たちが、いわゆる「お立ち台」に乗っていた。それから、ゲイの王様と呼んでもよさそうな、全身黒の網タイツで、白のファーを首にまき、サングラスをした男性が、あらゆるその他のゲイの人たちと一緒に、威風堂々たる様子で写真撮影会を楽しんでいた。
 
 夜は、私たちの城であるホテルのすぐ近くの、六本木にでもありそうな、広くて開放感と清潔感のあるレストラン、「Avli Tou Thodori」というお店で食事をとった。ムサカとシーフード・スパゲッティをいただいた。ムサカは、ナスとじゃがいもと挽肉とベシャメル・ソースを重ねてオーブンで焼いた、グラタンのようなラザニアのような濃厚な料理である。ギリシャだけでなくお隣のトルコの料理でもあるらしい。ここの食事はスパゲッティがアルデンテでないことを除けば、とっても美味しかった。
 
 海主体の日だったのに、海の水自体のことを書き忘れてしまった。
 パラダイス・ビーチもスーパー・パラダイス・ビーチも、海はエメラルド・グリーンで、かつ透き通っていた。とても美しいと思ったが、まだこれはギリシャの海の最高の美しさではなかったことを私たちは後日知ることになる。
 
 
 
 

ギリシャ・オランダ夏旅行(02)

(02) 白と青と解放の島、ミコノス到着

2013年8月29日 木曜日

 
●1. ミコノス島行きフェリー
 薄汚れた港町、ピレウスのホテルで食べた朝食は、重量感のあるパンと、固形に近い歯ごたえのギリシャヨーグルトで、これは想像以上においしかった。ギリシャヨーグルトは、ヨーグルト特有の酸味がほとんどなく、ミルクやチーズに近い感じだ。
 フェリーの出発時刻は朝7時。相当に早い。
 
 ミコノス島行きのフェリーはこれまた想像以上に大きく立派な船だった。
 室内の各部屋には座席とテレビがあり、テレビでは斬新なニュース番組が流れていた。新聞や雑誌の紙面の小さな文字をアップでテレビ画面に映し出し、それをただ指でなぞりながらただ声に出して、生真面目に読むというものだ。朗読といっても過言ではない形式であった。
 もしかしたらギリシャ人は識字率が低いのだろうか?
 
 室内の座席を予約で確保していたが、空は雲ひとつない快晴で風も爽快であったため、私たちはデッキがすぐそこに見える屋根付きの屋外の席にほとんど陣をとっていた。
 ミコノス島行きの船上では、レズビアンの発祥との話もあるギリシャの島、レスボス島を想起させる、小柄でショートカットの奇抜なメイクと不思議な猫のTシャツを身にまとった女性や、数人のゾルバまたはゾルバ風人物をを見かけた。
 
 そう、私たちは、体毛が濃く、身長は小さめだががっちりしていて、いかにも野蛮な感じのギリシャ現地人的な男性がいると、それを「ゾルバ」と呼んでいた。これは村上春樹の「遠い太鼓」でそのような人物を「ゾルバ」と称していたことの影響だが、「ゾルバ」とはそもそも「その男ゾルバ」という昔の映画の主人公のギリシャ人男性から来ている。私たちはギリシャに来る前にこの映画を観てみようとも思ったこともあったが、ネットの口コミでは、「その男ゾルバ」はあまりに原始的であり野蛮であり田舎の村人たち(「息子の恋が実らず自殺したのは女性のせいだから殺してしまえ」、「死人のものは自分のもの」といった考え方)が描かれていて後味が悪いといった感想が大半だったため、観るのをやめたのであった。
 
 フェリーでは、とあるゾルバは顔の長さの半分ほどもある大きなパイプをひとりくゆらせ、また別のゾルバは家族と談笑しながら煙草を吸っていた。
 そう、そのフェリーは異常に喫煙率が高かった、おそらくそれは7割を超えていた。
 後になってわかったのだが、喫煙率が高いのはそのフェリーだけではなかった。ギリシャ全体だった。その感じは否応なく昔の日本を想起させた、そう、ちょうどまだ私たちが子どもでバスの中に灰皿がついていた時代だ。
 いずれにせよ、それらのゾルバまたはゾルバ風人物たちは、見ているだけで、すでにギリシャのおおらかさと海の香りと反進歩性とアナログ感とを存分に感じさせてくれた。
 
 フェリーは5時間ほどののんびりした旅だったが、私たちは睡眠をとったこともあり、気づいたら、もうすぐ、とある島が目に入ってきた(ミコノスに到着する前にいくつか島に寄るフェリーだったのだ)。思わずデッキに出て、強風をものともせず、感嘆をもって島を眺める。緑のない茶色の島。建物もない。無人島?と思っていたら、島の裏側まで船が進むと白壁の街が出てきた。 
 シロス島。生まれて初めて見た、エーゲ海の島。
 海の青と建物の白と茶色の島。
 本当に存在するんだ!この風景!
 私たちの帽子は風でほとんど飛びそうだった。
 雲ひとつない青空のもと、ギリシャに来て初めて、ギリシャに来た実感と夢心地の旅に足を踏み入れた感覚だった。

 
 
●2. 到着後の苛酷感
 シロス島から数十分たつと、白と青だけでなく、時おり赤も混じった、美しい模型のような島が見える。
 
 ミコノス島だった。
 
 遠くからの眺めは、想像よりも少し貧相だった。これは、到着した港がオールド・ポートという、ミコノス・タウンから北へはずれた場所だったからだと思う。
 到着すると、よくわからないまま、ミコノス・タウン方面に行けそうなバスに乗る。
 私たちのホテルはミコノス・タウンをさらに超えて、島の南のほうの比較的静かそうな海岸沿いにあった。ミコノス・タウンまで連れて行ってもらえれば、あとはタクシーかなにかで何とかなると思っていた。
 
 しかしここからが苛酷だった。
 バスはミコノス・タウンのほんの入口のニュー・ポートまでしか行かなかった。ホテルまでは地図上ではまだまだ距離がある。歩ける距離ではない。
 時刻はお昼の1時で夏の太陽の輝きと照りつけは半端なく、11日間分の洋服などを詰めたスーツケースは非情な重さで、ミコノスの道はでこぼこが多くスーツケースを引くのにまったく適してはおらず、そしてどこまで行けばバスあるいはタクシーに乗れるのかまったくわからず、さらにこの状況では不運なことに、ミコノス・タウンは、一度路地に入ったら元の場所に戻るのは至難の業といった迷路のような美しい街並みで有名なのだった!
 
 私たちは汗だくになって、街の人たちに道をききながら、どうにか、さらなるバス乗り場があることを嗅ぎつけた。迷路のようなミコノス・タウンという評判は本当で、バス乗り場までの道のりは、地図を見せては現在地を質問し、それでも「道順なんて教えられないわ。ミコノス・タウンでは道なりに勘にしたがって歩くしかないのよ」などと哲学めいたことを言われたりで、バス乗り場まで辿りつけたのはまったく夫の方向感覚の良さのおかげだったかもしれない。
 
 ホテルに着くと、それは予想をはるかに超えた夢のような空間だった。
 水色と白で構成された、小さなお城のような、ホテル。
 長方形一つが建っているような単一の形ではなく、白の真四角や長方形がブロックのようにでこぼこに組まれた、極めてランダム性のある形で、それはまるで美しい家々が連なっているよう。
 ロビーや部屋からは、ビーチと海がすぐそこに見える。 
 ビーチにはサンベッドやパラソルがぎっしりで、人も多くいるが、ミコノス・タウンやハワイのワイキキビーチのようなにぎやかさはない。皆が思い思いに静かに寝そべっているといった感じである。
 ホテル敷地内の海側には、オーシャンビューでブレックファーストを食べられるレストランがあって、その横にはプールもある。
 
 これぞギリシャ!というギリシャ感がきゅるきゅると私の中で音を立てて最高潮に達しようとしていた。

 
●3. 三人のゾル
 ミコノス島では移動にみんなバギー(四輪のバイク)かバイクを使っていて、ヘルメットなしにきもちよさそうに乗り回していた。おそらくそれらの約半数は男同士の二人乗りで、美しく肉体を鍛えたゲイのように見える人たちだった。そして3割は男女のカップルの二人乗り、1割は女性の二人乗り、そして残り1割は一人で乗っている人たち。バスなし、タクシーなしの苛酷を体験した私たちは、みんなを見習って、すぐにバギーを借りた。バギーは、ブルンブルンブッブッと旧式に大きな音を立て、スピードはあまり出ない、それでも安定感だけは抜群で、畑仕事のトラクターに毛が生えたような乗り物だ。
 
 二人乗りバギーでミコノス・タウンまで行って、ミコノス・タウンを歩いてぶらっとして、それからリトル・ヴェニスと呼ばれる小さな入り江のすぐ海際に小さなカフェ・レストランがぎゅうぎゅうと連なっている場所で、早めの夕食をとった。
 席はもちろん、海のすぐそばのオープン・テラス。
 室内で食べているお客さんはいない。みんなオープン・テラスが大好きだ。
 まだ空は明るい。ヨーロッパの日は長い。
 
 白ワインに、グリーク・サラダと魚介グリルの盛り合わせプレート的なもの。
 レストランのウェイターは、片言の日本語で「ケイコサーン、イチバンキレイー。ケイコサン、ワタシノガールフレンド、ニッポンジーン」と、本当か嘘かよくわからない、いかにもなお調子者・対日本人・ビジネス・トークで多少うっとうしい愛嬌をふりまく。
 しかしその俗っぽい接客とは裏腹に、とにかく、魚介、特に白身魚は、身がしっかり厚くてぎゅっと密度が高い感じで大味だけれど素朴でおおらかなおいしさが口の中に広がった。
 そうして夕食を楽しんでいたとき、とあるゾルバ・グループが私たちの目に入ってきた。隣のレストランだが、みんなオープン・テラスだし、結構本当にぎゅうぎゅうとお店が隣接しているので、まあ同じレストランのようなものだ。
 
 このゾルバ・グループは3人グループで、全員がそれぞれ異なるタイプのゾルバだった。
 
 一人は、典型的ゾルバ(ゾルバ?)。丸顔でスキンヘッドで背が低くごつい、上半身は文字通り裸で、毛のほうは無論毛深く、肩毛まで生えている。年齢もゾルバ的には頃良い40代と見える。
 
 もう一人は、おしゃれゾルバ(ゾルバ?)。中肉中背で髪は短髪、ネイビーのタンクトップを着ており、サングラスをかけ、やや洗練されている。しかし、肩毛は生えており、ゾルバであることは隠しきれない。こちらは最も若く、おそらく30代。
 
 最後の一人、こちらは白ゾルバである(ゾルバ?)。通常のゾルバは、顔は白人寄りだがエーゲ海のきらきら太陽により肌の色は褐色に近い。しかしこの白ゾルバは、めちゃくちゃに白人であった。多少の肌の病気を患っていたのかもしれない。いわゆるアルビノ的な白さがあった。アルビノ的な肌に、ふさふさとした白髪を生やしていた。彼は50代、または60代、いや70代かもしれない。かなりの老いが感じられる。
 
 彼らがどういった集まりなのかは最後まで解き明かされなかった。
 ミコノスの他の男性同士のグループと同様、ゲイの確率が高いのか、しかしゲイにしては、ゾルバ?とゾルバ?はあまりに美的感性に乏しいように見える。ゾルバ?は粗雑すぎるし、ゾルバ?はあまりに特殊すぎる。
 
 よく観察していると、白ゾルバであるゾルバ?がトークの主導権を握っているようで、その病弱そうな外見とは裏腹に、よく飲み、よくしゃべっている。年長者の功であろうか。それから、おしゃれゾルバ(ゾルバ?)は、そのトークを熱心にきいているようである。こちらもよく飲んでいる。そして典型的ゾルバなるゾルバ?はというと、他二人の話をきいているのかきいていないのか、とにかく終始下を向き、皿の上のロブスターと熱心に格闘していた。丸っこいその手をさらに丸めて、ロブスターの殻をとっては口に入れ、また殻をとっては口に入れ…。とにかくマイペースであった。
 
 私たちがあまりに熱心に観察し、また時に彼らの写真もこっそりと撮っていたことから、最後には目が合って、私たちの彼らへの尋常ない注目が日の目に晒されてしまった。
 ゾルバ?は見た目どおり最も愛嬌のある性格らしく、私のほうに満面の笑みを浮かべて歩み寄ってき、握手を求めてきた。私は握手しながら、最もシンプルかつ気になっていたことを質問した。
 「あなたは、ここのミコノスの現地の方なのですか?」
 「俺はアテネの人間だよ。アテネからよく来るんだよ」
 なるほど。現地ではないが、やはりギリシャ人ではあり、やはりゾルバではあった。その確認ができただけで私は満足だった。
 
 そのあとはまたミコノス・タウンをぶらっとして、同じリトル・ヴェニスに戻ってきて、夕陽をゆっくりと眺めながらお酒だけいただいた。同じことをしていてもぜんぜん飽きない。ゆっくりと流れる美しい時間。

 
●4. 星空と異次元空間
 元祖パーティー・アイランドとの前情報も得ていたことから、夜はもちろんクラブ!ということで、最も有名だという「カヴォ・パラディッソ」に向かう。結論からいって、この日のパーティーはあまりよくなかった。選曲がイケイケで、私たちの好みではなかったというのが一番の原因。
 
 それよりも、私がとても印象に残っているのは、「カヴォ・パラディッソ」にたどり着くまでのバギー道中である。
 私たちがホテルを出発したのは、おそらく夜の11時か12時頃。
 「カヴォ・パラディッソ」はスーパー・パラダイス・ビーチ(すごい名前である)付近にあるということで、スーパー・パラダイス・ビーチをめざしてバギーは進む。ミコノス・タウンまででも20分程度で着くので、地図上の距離的に考えると、20分、多くかかっても30分程度で到着する予想である。
 
 向かってみると、あまりに標識が少なく、道はくねくねで、自分たちが今どのあたりにいるのかもわからないばかりか、どちらに向かえばよいのかもわからない。一つ道を間違えると、道ではない道のようなところに入ってしまったり、文字通りの迷子になってしまう。
 
 それでも、雲ひとつないミコノスの夜空は、みあげるとあふれんばかりの星が輝いていて、夜の黒い闇はとてもクリアで、ヘルメットをかぶっていない頭に風は心地よく、バギーの後部座席に乗っかった私は、このままこのきもちいい時間がずっと続けばいいと体のどこかで感じていた。
 
 解放感。
 
 たぶんこの言葉が最も適切な気がする。
 もちろん、「カヴォ・パラディッソ」に辿り着きたかったのも確かだし、バギーを運転してくれている夫はきっと必死で道を探してくれていたのだから、こんな風に感じていたのは多少は不謹慎だったのかもしれないけれど。 
 
 ほとんどどこへ向かっているかわからない状態で進み続けて、30分かそのくらい経った頃だろうか、私たちは曲がりくねった坂道をどんどん登り続けて、かなり高い丘の上にまで来ていた。少し先には、オレンジ色の光の中に王様の住んでいるような堂々とした建物が見える。
 「あれがカヴォ・パラディッソじゃない?」
 「ね。たぶんそうよね?」
 
 期待に胸を膨らませ、坂道をバギーがうなりながら一生懸命に上る。頑張るバギーに愛着が湧いてくる。クラブの音楽はまだ聴こえてこない。人の気配も、ない。上れど上れど、近づけど近づけど、音楽は聴こえない。人の気配も、まだ全然ない。とうとう、その王様の棲みかのような立派な建物に着いてしまった。それでも音楽は聴こえない。もちろん、人は誰もいない。非情ともいえる静けさだった。私たちは、この建物がカヴォ・パラディッソではないということはほとんど理解していたが、それでも藁にもすがる思いで最後の確認のため、バギーから降りて、その建物の門のようなところまで歩いた。
 ――ホテルだった。
 
 「振り出しに戻ったねー」
 「振り出しだわー」
 お互いにそう言いつつも、実際は振り出しに戻るも何も、そもそもどこへも向かっていなかったんだということはわかっていた。そして、これからどっちへ向かったらいいかも皆目見当がつかない。標識が少なすぎて、たったひとつのヒントすらなかった。
 
 インターネットが使えてiPhoneが使えてGoogleMapが使えたなら。こんなことにはならなかっただろう。もちろん。
 でも、私はやっぱりこの状況が楽しかった。はっきり言って、楽しかったのだ。
 
 携帯電話がないって本当にいいなあと思った。まあ、旅先だからこんな悠長なことを言っていられるのだろうけれど。
 
 そこに立ち止まっていても何のヒントも得られるはずもないので、なんということもなく、バギーに乗っかる。なんとなくの夫の方向感覚に任せて、バギーを進める。
 
 しばらく進んだところで、パーティーをやっている家が見つかった。外に数人のグループがいたので、カヴォ・パラディッソまでの道を訊ねてみた。彼らはすでにひとパーティー終えたところなのだろう、テンション高く、口々に言った。
 
 「あー、カヴォ・パラディッソ!トロピカーナってクラブのほうにいくとカヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 「僕たちも行くんだよ、これから。カヴォ・パラディッソに」
 「ちょうどいい、僕ら今から車に乗って先に行くから、車の後ろをついておいでよ!」
 
 彼らに後光が差している気がした。やっと希望の光が見えた!
 
 「ありがとう!!!」
 「やったね!」
 私たちは興奮しながら、その集団の車について行った、しかし、バギーののろいスピードではあっという間に希望の車との車間距離が広がっていった。曲がり角の先で、希望の車は待っていてくれると信じていた。しかし、ハイテンションな彼らを乗せたその希望の車はあっという間に消え去った。
 心やさしく律儀な日本人の常識はそこでは通用しなかった。ここは自由と自律と解放のミコノスだった。
 
 「スーパー・パラダイス・ビーチはこっち」という標識がところどころにあることを唯一の手掛かりに、私たちはあきらめず、バギーと共に進んだ。なぜなら、帰り道すらわからない、本当の迷子になっていたからだ。すでに出発して1時間以上は経っていただろう。
 
 丘からは完全に下りて、海側に近い感覚を得ていた。
 静かな道端に、松葉杖をついた一人の男が立っていた。パーティー・アイランドのミコノスで、こんなパーティーの時間帯に、道端に松葉杖の男が立っている絵は、奇妙だった。彼に道を訊こうと近づくと、彼も松葉杖を使ってこちらに歩み寄ってきてくれる。
 「カヴォ・パラディッソはあっちだ」
 彼は右手で、ゆっくりともっともらしく、遠く右側を指していた。右側は、私たちがもと来た方向だった。
 「ありがとう!!!」
 
 私たちはその足の悪い男の導きに従い、もと来た道を右手に戻ってカヴォ・パラディッソを探そうとした。しかし標識まで戻ると、どう見ても左向きに「トロピカーナ、こっち」と矢印がある。さっきの希望の車の集団は、トロピカーナのほうに行けばカヴォ・パラディッソもある、と言っていた。足の悪い男は右と言い、希望の車の集団は左と言っている。矛盾だ。いったいどちらが正しいのだろう?
 
 標識の前で途方に暮れる私たちのところに、さらなる指導者が現れた。
 車に乗った男に、声をかけて、再び道を訊ねたのだ。
 「カヴォ・パラディッソ!道は知っているけど、説明が難しいな…。うーん、とにかくこっちに向かって、トロピカーナってクラブのほうに向かえば、カヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 トロピカーナ
 彼も左を指していた。
 やっぱり希望の車の集団が正しかったのだ。あの足の悪い男はなぜだか嘘をついていた。おそらく嘘をついたという認識もないのだろう。ただ単に適当なのだ。
 
 結局、この最後の車の男が結果的には救世主となった。
 私たちは、無事、カヴォ・パラディッソに辿り着いた。もはや時間の感覚はなかった。それくらいの時間が経っていた。実際は、2時間くらい経っていたのだろうか。
 
 「カヴォ見つからない事件」の顛末はこんな具合であった。
 
 夫が後から言うには、トロピカーナもカヴォ・パラディッソも、スーパー・パラダイス・ビーチでなく、パラダイス・ビーチ(ややこしい名前だ)のほうにあったということだった。それが私たちの勝手な思い込みで、スーパー・パラダイス・ビーチをずっと目指していたことが敗因だった、と。確かに調べてみたら、そのとおりだった。
 
 しかしよくよく思い返してみると不思議なことがあった。
 この翌日、太陽のぴかぴかと輝く時間帯に、スーパー・パラダイス・ビーチを目的地とし、実際すぐに何の問題もなくスーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けたのだった。確かに、カヴォ・パラディッソは本当はパラダイス・ビーチにあったのだから、あの晩、カヴォ・パラディッソ到着に苦戦したのは理解できる。しかし、あの晩、間違った目的地ながらもカヴォ・パラディッソがあると思い込んでいたスーパー・パラダイス・ビーチを目指していて、そのスーパー・パラダイス・ビーチにすら辿り着けなかったのである。これはよく考えたら奇妙である。
 
 スーパー・パラダイス・ビーチの標識に従っていたのに、スーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けなかった。
 
 もしかしたら、あの晩、私たちは異次元空間にでも迷い込んでいたのだろうか?あの、世にも美しい星空とこの世のものと思えない解放感はそのせいだったのだろうか?
 
 

ギリシャ・オランダ夏旅行(01)

(01)アテネまでの道中

2013年8月28日 水曜日

 
●1. パスポート事件
 かなり浮き足立った気分の成田で、いきなり出鼻をくじかれる事件が起こる。
 「パスポート事件」である。
 
 ルフトハンザのチェックインカウンターで、私のパスポートを渡すと、小柄で感じのいい日本人女性が、申し訳なさそうな顔を作っている。
 
 「申し訳ありませんが、お客様のパスポートは有効期限が今年の12月5日となっております…。
 今回の旅程では最後のオランダからの出国が9月7日の予定…。
 ヨーロッパのほとんどの国では、入国審査における基準として『出国の日付からパスポート有効期限の間で3ヵ月必要』ということになっております…。
 つまり、パスポートの有効期限は12月7日まで本来は必要です…。
 ですので、このまま成田を出発しても、経由地ミュンヘンまたは最終目的地のアテネにおいて、入国を拒否される可能性があります…。
 どう対応するかはお客様次第です…。
 今回は、3ヵ月を満たしていないとはいえ、たった2日足りないだけですので、問題なく入国できるかもしれません…」
 
 このように、彼女の語尾にはすべて「…」がついていた。
 そのくらい言いにくいことだったのだろう。
 そしてそれは私たちにとってはスーパーマリオドッスンが不意に上から落ちてきてよけきれずにそのままぺしゃんこにされたような気分になることだった。
 要は今すぐパスポートを更新して有効期限を延長するか、復路の日程を早めるか、どちらかにせよ、ということのようなのだ。
 
 そんなルール、知るわけない!!!
 
 私たちはその場で出発までの限られた30分程度の時間の中で、とりうるすべての選択肢を列挙し、急いで、時には二人で並行で各所に電話問い合わせをしたりと最大限の効率でこの問題にあたった。まさにフル回転である。

 
 ・対策1 パスポートを今日1日で更新する。(出発は明日に変更する)
 ・対策2 帰りの日付を9月5日に早める。
 ・対策3 基本はこのまま突破する方向だが、帰りの日付を早めた9月5日のフライトも念のため仮押さえしておいて、入国拒否された場合にすぐに9月5日に変更可能なよう手筈を整えておく
 ・対策4 ヨーロッパに入った後で現地の日本大使館でパスポートを更新する
 ・対策5 何もしないでこのまま強行突破

 
 むろん、ハプニングの予感はしていたのだ。ギリシャという土地柄、主に村上春樹の「遠い太鼓」の影響もあって、ギリシャはゆるやかな空気がすばらしい反面、なんとなくいろんな物事が整備されていなく、これまでの旅に比べても、ハプニングが起こる可能性が高いのではないかと。
 しかしこのような形で最初のハプニングが到来するとは思ってもいなかった。
 ギリシャなんて関係のないハプニング。
 単純な私の情報調査漏れである。なんとなく海外慣れしている気分でいて、旅行はもちろんツアーパックではなく個人で全部組み立てた旅行である。この思い上がりが今回のハプニングにつながった。
 
 ともかく、対策5はありえないとして、対策1はパスポートを今日1日で更新するのは不可能ということが判明し(少なくとも1週間はかかる)、NG。対策4もそもそも入国できなかったら難しいのでNG。
 ということで、対策2か3をとることに。
 ANAマイルで買ったチケットなので、ANAの人に相談して、対策3を対応してもらえることに。
 つまり、いったんこのまま強行突破を試みるが、入国拒否されたら帰りの日付をやむなく基準を満たすように前倒すというものである。

 
●2. アナザー・ワールド
 そんなわけで、行きの機内では、楽しい幸せな新婚旅行ムード、というよりは、二人とも「入国できないかも」という不安(特に私)を抱え、どうしてもいつもの旅行のように手放しでははしゃげない、微妙にどんよりとした曇り空のような空気であった。
 
 そんな中、行きの飛行機ではよしもとばななの「アナザーワールド 王国 その4」を読了。
 これはよしもとばなな氏がミコノス島好きということで、ミコノスを舞台にしたシーンが結構登場する小説である。
 ということで、今回の旅の前に読もうと思って買った本である。
 読み始めた当初は手ごたえがなく、きらきらを造ろうとする文章が自分の好みには合わないなあ、といった感想だったのが、最後のあたりから読み終える頃には結構な量の涙を流してしまっていた。
 人生の美しさ、それをなるべく美しい文章を使って表現し、人間としてどう生きるべきか、家族のさまざまなあり方とどんな家族でも大事だということ、そんなようなことをさらっと流れるように描いた小説だった。
 おかげで幾つかの文章はノートに書き留めることになった。
 
 そのような微妙に中途半端なテンションの中、経由地ミュンヘン到着。
 厳しそうな年配の入国審査官に当たらないよう祈る中、私たちは若い金髪審査官に当たった。
 
 「あなたのパスポートは今年12月期限なんですね?」
 「はい」
 
 さらなる問い詰めを予感していたが、そのあとは質問はなかった。
 
 大丈夫だった!!!
 
 この瞬間、それまで緊張に包まれていた私たちの旅に対する期待は解放された。
 実際のところ、日本人(成田のルフトハンザの担当者)のきっちり感は、ドイツ人(金髪審査官)にすら勝っていたのだ。
 
 アテネに到着したのは夜で、私たちはその晩、アテネ空港からピレウスという港町に移動することになっていた。
 夏の夜のアテネ空港は静かで、暑いけれど風が気持ちよかった。
 ピレウスに向かうバスは発車するまで真っ暗なまま停車していて、そんな中に人々は乗り込んでいっており、少し薄気味悪かった。
 ピレウスに移動した理由は、翌朝ミコノス島にフェリーで行くためにこの港町にホテルをとったからだったが、このピレウスの汚さは想像を絶した。
 道はゴミのにおいがするし、道路は汚い何物かでおおわれていた。
 ホテルはこぎれいではあったが、シャワーのスペースの小ささは想像をさらに絶した。
 30センチ四方ほどの枠があって、そこにカラフルなシャワーカーテンが張られていた。
 30センチの正方形のシャワーカーテンの中でどうやって外に水を飛ばさずにシャワーを浴びられるだろうか?
 まあ、ミコノスに行くために今晩寝るだけだし、と二人して開き直って、短い睡眠をとった。

ギリシャ・オランダ夏旅行(00)

(00) はじめに

 人は誰でも、永遠の日常を生きることはできない。
 
 夢のように美しく楽しかったギリシャ、オランダの新婚旅行。
 
 2013年の夏のことである。
 
 日本に帰国した直後は、まだ東京での日常に戻りたくない、あるいは非日常の感覚をなんとか大事に抱えたまま日常に戻って過ごしていきたい、といった気持ちでいっぱいだった。
 
 ギリシャはミコノス島とケファロニア島を拠点とし、ケファロニア島から日帰りでザキントス島にも足を運んだ。
 オランダはアムステルダム一本。
 
 旅日記を書く前に、行く前の想像と、行った後の印象を、覚書として一言でまとめてみる。

 
・ミコノス島

 行く前:
  村上春樹「遠い太鼓」
  昔はヒッピーアイランド、今はパーティーアイランド
  よしもとばななアナザーワールド 王国 その4」
  旅雑誌TRANSIT第6号「今日もギリシアは美しい」
  迷路のような美しくかわいらしい白と青の街並み
  ゲイカップル
  ヌーディストビーチ

 行った後:
  青と白!そして少しだけの赤!といった写真の風景のような非現実的なコントラストの美がリアルに実在することへの驚嘆
  バギーバイクで島の風を感じながらまわる解放感ときもちよさ
  変人が多い
  なので空気もなんか奇人変人な空気が流れている(気がする)
  もちろんゲイカップル、それからパーティーアイランドはほんとうだった
  ゲイの人たちは大体においてザ・肉体美である
  ミコノスを人間にたとえると、まさに「芸術家のような」島。美的感覚にすぐれ、奇人であり変人、そして少々の不安定さ。

 
ケファロニア島

 行く前:
  自然の美しさ
  ゆったり
  セレブがプライベートヨットやクルーザーで立ち寄るらしい(「地球の歩き方」情報)

 行った後:  
  海が完璧な青。外から見ても青、もぐって中から見ても青。
  ゆったり
  雄大な自然
  なのに品があって暮らしやすそう
  ケファロニアを人間にたとえると、「自律し精神が安定していて、自ら幸福と余裕の中に生きることができる大人な素敵人」。

 
ザキントス島  

 行く前:
  紅の豚のモデルになったシップレックビーチ
  それ以外はあまり遊ぶところはないかな(なので日帰りにしよう)

 行った後:
  海が美しい
  自然が苛酷
  ザキントスを人間にたとえると、「裸足で生活しているような、田舎の素朴な人」

 
アムステルダム

 行く前:
  いろいろ自由(売春、マリファナ安楽死、ゲイ結婚、カジノなどの合法化または実質的な合法扱い)
  ワークシェアリングで一人一人の労働時間が少ない国
  がちゃがちゃ歩いて回って楽しい街(友人からきいた情報)

 行った後:
  オランダ人はほんとうに背が大きい
  自転車で街をまわるきもちよさ
  てか自転車人口はんぱない
  伝統的ヨーロッパな建物と、現代先進的な建築が同居するスタイリッシュな街
  確かにいろいろ自由(売春婦たちが窓から誘う飾り窓、マリファナのCoffeeShop、ゲイカップル等)
  アムスを人間にたとえると、「スタイリッシュで洗練されて強い個がぶれないかっこいい人」

 
 今回は、ギリシャという土地柄もあってか、のっぴきならないハプニングの多い旅になり、さらに楽しい旅となった。

桜鍋と馬喰町と気持ちの良い空気と


桜鍋

江東区の、とある専門店で、桜鍋をいただきました。

桜鍋は、馬肉のお鍋。
馬肉がきれいな桜色をしていることから桜鍋というらしい。
また、昔、青森の一部で食べられていた鍋とのこと。
少し生っぽいくらいでいただくと、その色はまさに桜の色。
柔らかくさっぱり、でもどこか甘く、おいしい。
桜鍋とはよく名付けたもの。
言葉ってやっぱり大事。

さらに、創業明治30年という長い歴史をもつ、風情あるお店の木造建築や内装、それに食器。
まるで、四国の道後温泉にワープしたように、全てが旧式に極まっている。
落ち着く。非常に落ち着く。

それに併せて、今日のお天気。
暑すぎもせず、寒すぎもせず、ちょうどよい涼しさと、風。
その道後温泉、、、ではなく、桜鍋専門店、は、窓を開け放しにしておいてくれていて。
どんなお天気に人が出会うかというのは、ある意味偶然的なものだけれど。

最近味わい忘れていた至福。
感謝です。

こういう時間と感覚を大事にしたいなと思いました。

ともすれば、日々はぎすぎすした忙しさと疲れと精神の不安定で過ぎて行ってしまうので。

今日みたいな美しい時間と空気と感覚、
それと、
抱えている実際的な問題の解決や自分のキャリア構築をできるだけ楽しく進めること、
その両方を併せて相乗効果に変えて、日々を過ごすこと。




馬喰町

徒歩での帰路にて、馬肉をいただいた後に何の因果か「馬喰町」「馬車通り」など馬に関わる地名に多数遭遇。

帰宅後調べてみると
「馬喰町:
馬喰町の由来はその名の通り、徳川家康関ヶ原出陣の際、馬工郎(馬喰)高木源五兵衛に命じて厩舎を作らせ、数百頭の馬を飼うために、配下の馬喰(馬の売買をする人たち)を住ませたこと、また馬の売買の市が多く存在したことによる」
というようなことらしい。

江戸時代、馬があの辺りで食にも戦にも武芸にも移動手段としても活躍していたんだなと思いを馳せるだけ。
それだけでも、旧式な日本を想像できて、現代を見つめ直す感覚がもてる。
思いを馳せるだけなら、無料(ただ)ですので。
現代を見つめ直す「感覚」だけなら、実際的には無力ですが。
いずれにせよ、昔の面影を残してくれるあらゆる地名には敬意を示したい気持ち。

にしても、現代の東京の街中で見かける動物なんて、犬や猫など愛玩用のものだけ。
「愛玩」って、なんとなく時代として寂しい気がするのはわたしだけでしょうか。




気持ちの良い空気

その帰路に、歩いて渡ったいくつかの橋の上は、
すーすー吹く風と川の匂いとで、
暖かで気持ちの良い空気が流れていた。

梅雨イメージの定着している6月も捨てたものじゃない。

そして
「論理」だけにとらわれていた最近のわたしだけれど、
「感覚」も捨てたものじゃない。
というか捨てるべきものじゃ全然ない。

メモランダム的個人的原則


最近のわたし個人の言動や思索において、
わたし個人的に、立ち戻るべき原則。
友人と話したことの整理としてのメモランダム。


1.素直な気持ちを持っていればよいということ
 あることが実現すれば、このままがいい
 あることが実現しなければ、もっと思いっきりやりたい
 その気持ちに雑念を交えたり恥を感じたりする必要はない
 もちろん、そのあることの実現に熱意をもってとりくむけれど

2.夏のマイルストーンが超重要だということ
 精神の不安定は、生活設計の定まらなさからくる
 まさに「不」「安定」の文字通り
 したがって、生活設計が定まる結果を得ることが重要

3.組織においても「決まっていること」が重要だということ
 役割が定まらない
 手順が定まっていない
 責任を負う者は誰なのか定まっていない
 そんな中で動ける人もいるけれど
 もちろん動きづらさを感じる人が多いだろうこと

4.仕事や生活事務処理においては、人を信用しないこと
 (もちろん、友情や恋愛、親子の愛などは別)
 人を信用しない=全てを自分で実行または確認する=主体性の始まり

5.自己制御が効かなくなっていそうな状況下では、
 一息ついて、冷静になること
 冷静に客観的に「自分はなぜこの行動をとろうとしているのか?」の
 真意を把握し、
 その行動が本当にその真意にふさわしいかを検討すること

6.「人生において最も大切なことは、最も大切なことを最も大切にすることである」
 最も大切なことっていうのは
 具体的なもの1つだけではない場合があるということ
 もっと包括的なものである場合があるということ

ジョゼ三部作

「一年ののち」「すばらしい雲」、それから「失われた横顔」。

ジョゼと虎と魚たち」の主人公の女の子は、
フランスの女流作家サガンが描いた、
これら三部作に登場する「ジョゼ」という主人公から名をとり、
自分を「ジョゼ」と呼んで、という。

サガンの小説は、ある人には、恋愛だらけだったり、たるーい感じがしたり、無為や虚無や絶望を是としている感じがしたり、するのだろう。

ある人には、何も起こらないけれど心理描写が絶品の作品ばかり、ということになるのだろう。

私にとっては、サガンは高校時代から読んでいて、フランスの香りがして、大好きだった。

今考えると、

・独立心旺盛で、孤独を楽しんだり悲しんだりする女の子

・自分の感情のアップダウンや、自分の悪の部分を、客観的に見て嘲笑する女の子

・ベースは安定しているが、折に触れ不安定になりその不安定な自分を楽しんだり、不安定な人間と接することに嫌気を覚えながらもそれを楽しんだりする女の子

・ストレートにものをいうのできつく見えるが、実際は自分の気持ちに素直なだけの女の子


こういった、自分として親近感をおぼえる女の子像をコケティッシュ(死語か)に魅力的な形で描いてくれている、それが、自分がサガンが好きだった(好きな)一番の理由なんだろうな。

つまり、わたしにとってのサガンの小説の本質は、恋愛でも虚無でもなく、
何にも依存せず、自分に客観的な目をもつ、強い女の子ということ。

3つめの「安定をベースにした不安定」。
そういうのに酔ってしまう自分、というのは昔から自分の中にいるね、と友達と最近話したところでした。

大人になっていくのに、不安定を楽しむ部分がずっとあってよいのかっていう疑問もあるけれど、
安定してしまったらおもしろくないだろうと思い、自分をコントロールできる範囲では不安定になることは今のところ是としています。

サガンがフランスで50〜70年代にかけて描いたこういった女の子は、
まさに現代の欧米化し独立心を得た日本女子の中には
共感する人は多いのでは、という気がしますが。
あるいはやはり、「欧米化」とはいっても「米」と「欧(仏)」では、また全然違ったりして、
このサガン的感性(仏)にぴったりきちゃう人は少ないのかな。

老人大学

■老人大学の好ましくない形

http://www.rikkyo.ac.jp/grp/kohoka/2ndstage/
http://www.asahi.com/edu/university/information/TKY200711060346.html

立教セカンドステージ大学。
大学と称するが、文部科学省が認可した大学ではない。

以下、「設立の趣旨・特徴」から抜粋。

立教セカンドステージ大学がめざすものは、
単に大学を一般市民に開放し教養主義的な講座を
提供することではありません。立教セカンドステージ大学の目的は、
個人的な学びの行為が社会的な実践ともなりうるような
知の回路を発見する場をともに創っていくことです。
いわゆるシニア世代とそれに前後する各世代が自らの生きる意味と、
他者とともにあることの意味をじっくり考え、
シチズンシップをわきまえた市民社会の主体的一員、
すなわち真の「市民」として生きていくには何が必要かを真剣に
学びあう、新しい生涯学習の場を構築することです。

単なる一般公開講義ではない。
かといって、大学でもない。
つまり、中途半端。
だが、高齢化社会かつ老後をどうしていいかわからない人たちが
多くなりそうなこの社会で、今後のビジネスとしては有望かもしれない。

個人的には、こういう高齢者に閉じたコミュニティを
どうしてわざわざまた別途作るかなぁという思い。

アメリカだと、普通の大学で、40歳代は余裕で見かけたなぁ。
普通の大学に、入りたい老人は入ればよさそうなものなのに、
そうはいかないものなのかしら。



■老人大学の好ましい形

アメリカでは、「カレッジリンク型」と呼ばれる老人ホームが
注目を集めている。
つまり、大学と提携した老人ホーム。
学生と一緒に授業を受ける。
入居者たちは、時には学生の相談に乗り、専門知識がある場合は
講師役を勤めることもある。

個人的には、こういう、若者と老人が共生する社会の方が
未来が明るい気持ちがする。

この取り組みが、日本でも開始されたとのこと。
関西大学にて。
http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_let/topics/college-link/greeting.pdf

暗いニュースが多い中、ほんとに嬉しい気持ちになれました。