Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(04)

(04) 強烈大集合inミコノス

2013年8月31日 土曜日
 
  
●1. いかにもミコノスらしい景色たち
 ミコノス3日目。
 昼間はミコノス・タウンを再び散策して、島の北側にあるパノルモス・ビーチで遊んだ。
 
 ミコノス・タウンへの道中(とはいってもバギーでほんの10分ほどであるが)、丘の上からミコノス・タウン方面へ下っていく道がある。ここから見下ろす景色はきっと誰が見ても美しく、忘れられないものになると思う。そのくらい美しく開放的である。実際、何組かのカップル(これはゲイ・カップルも含まれる)たちは写真を撮っていた。私たちももれなく写真撮影した。
 
 ミコノス・タウンは白い建物をベースに店内はカラフルで素敵なセンスのショップが迷路のような道にこまごまと立ち並び、歩くだけで本当に美しく楽しい街だ。
 ショップ達の迷路を抜けてすぐの海沿いの白い教会のそばでは、青い空と碧い海をバックに、白い海鳥の群れがじゃれあうように空を舞っていた。
 なんと美しい光景!
 
 それにしても、海鳥たちは何をしているのだろう?
 
 教会の裏にまわると、海の岸にあたる岩場があった。
 そこでは2人の麦わら帽子をかぶったおじさん(これは遠かったのでゾルバかどうかは不明である)が釣りをしていた。
 彼らは小さな岩をいくつも並べてサークルを作り、その円の中の海水に、釣って死んだ魚を放りこんでいた。
 もちろん、ときどきは、釣れた魚を自分たちのバケツにも入れていた。
 それでも、釣った魚の大半は、その不思議なサークルの中に投げ込んでいた。
 海鳥が群がっていたのは、この魚にたいしてであった。
 なんともいえぬ素晴らしい景色の舞台裏は、こんな具合の食物連鎖の世界だった。
 
 それから、小腹のすいた私たちは、フローズン・ギリシャ・ヨーグルト専門店を見つけて入った。きちんとテーブル、椅子、ソファもあり、オープンテラスで食べられる。これが美味だった。フローズンなので、最初はさっぱりしている。けれど、食べても食べてもあっさりはしない。ギリシャ・ヨーグルトの濃厚さがこれでもかと最後まで残っている。
 
 そのお店では、おかしな体型の男を見かけた。彼は上半身裸で下は海パンで店内を誰かを探すようににこにこぷらぷらと歩いていた。これも毛深さについてはゾルバ風ではあった。背は高く、下半身はすらっと細く、顔も標準的な、どちらかといえばやせている方の顔だった。しかし、問題はその上半身だ。細い胴体の上で、胸とおなかが異様に垂れているのだ。
 
 私たちは彼をしばらく見守った後、互いに顔を見合わせて、
 「どこかが変じゃない?」
 と話し合った。
 結果、彼はダイエットに失敗したのだという結論に至った。ダイエットを急激に行った結果、おそらく皮膚がついていかなかったのだろう、と。
 

●2. 手遅れのゆでだこ
 島の北のパノルモス・ビーチへは再びバギーにのっかって向かった。おおよそ30分〜40分はかかっただろうか。北側へ向かう道中は、いわゆるミコノスらしい白壁と青というよりは、緑のない茶色の山肌が延々とつづき、ぽつぽつとだけ白壁の建物が点在する、壮大な、やや荒っぽい、道のりである。しかし、わたしはこれはこれですごく好きだった。
 
 パノルモス・ビーチは、南のパラダイス・ビーチやスーパー・パラダイスビーチよりもずいぶんと落ち着いた印象のビーチだった。海の美しさは変わらず、透明である。ゲイの人たちの数がおそらく少なかったかと思う。このビーチ・サイドで食べたフライド・ポテトがこれまた美味だった。これは個人的にはフローズン・ギリシャ・ヨーグルトに勝る美味しさだった。何が美味しいって、ソースが美味しいのだ。マスタードとマヨネーズをまぜたような味、でもそれだけではなく何らかの酸味やドレッシングのような味わいもある。もちろん、ジャンクでないとは言わない。しかし、家で再現してみたい味であった。
 
 このビーチでは、泳ぐというよりは、ビーチ・サイドでたらたらしていた。わたしは、ヘッセの「デミアン」を読んでいた。夫は春樹の「遠い太鼓」を読んでいたと思う。何ということもなく過ごしていたら、ふと目をあげたその先、私たちの目の前のパラソルの下には、ゆでだこがいた。正確には、ゆでだこのように頭を真っ赤っ赤に日焼けした、つるつる坊主の太った男性がいた。
 
 しばらく観察していると、隣の女性(おそらく恋人か奥さんだろう)が、ゆでだこの頭に日焼け止めをせかせかと塗り始めた。しかし、これは手遅れの処置であることは誰の目にも明らかだった。奥さんもゆでだこ本人も、その事実にすぐに気付いたのだろう。そのあと、奥さんはゆでだこの頭に白いタオルを巻き始めた。これも手遅れではあるが、見た目上ゆでだこであるということを隠すには有効な対策であった。
 
 気付いたら、夕陽の時刻になりそうだった。今日はミコノスの最後の晩だ。夕陽を逃すまいとやや急いでミコノス・タウンに戻った。例のリトル・ヴェニスの、ゾルバ三人グループが居座っていたほうのお店で、夕陽が落ちていくのを眺めながら夕飯をとった。夕飯は、サラダとエビのサガナキ、それからシーフード・リゾット。このサガナキというのはトマトソースとチーズをベースにした炒め煮込みのようなギリシャ料理だが、濃い味付けで、エビのエキスも存分に浸透していて、美味しかった。こう書いていると、この日は美味しいもの三昧だったんだなあ。
 
 スペインのパーティーアイランド、イビサ島とは異なり、ここミコノス島では夕陽を眺めながらのカフェやレストランで、素敵な音楽はかからない。
 それでも、これはこれで素朴な良さがある。海の音が聴こえる。さらに小さな防波堤まがいの海沿いの壁に強い風で打ちつけられる波の苛酷な音もよく聴こえる。しまいには、その波の苛酷さには笑いがこみあげてくる。そのくらい苛酷である。
 波が苛酷すぎて、小さな防波堤を飛び越え、カフェにも水が飛び散ってしまっている。この日は特に波が強かったようで、途中から、さすがのゆるゆるな空気をまとったギリシャのウェイターたちも、その約5メートルくらいの強波エリアは座ることを禁止した。
 
 最後の晩だし一遊びしよっか、と、クラブの情報を探した。ホテルでは、インターネットにアクセスできた。極力、インターネットは使わないように私は心がけていた。なんとなく、旅行ってそういう風にしたいのだ。しかし、クラブに行くならやっぱりいい音楽かかってるところに行きたい。そしてクラブの情報は、ガイドブックには載っていない。そういうわけで、インターネットをやむを得ず使う。
 
 SPACEというクラブと、一昨日行ったカヴォ・パラディッソが候補にあがった。SPACEはなんとこの日がラスト・パーティーだった。この日で閉店だ。偶然ではあるが、2年前のイビサ島の旅行のときに、SPACEというクラブがめちゃくちゃよかったという記憶がある。なので、SPACE、ラスト・パーティー、といわれるとがぜん盛り上がった。しかしながら、カヴォ・パラディッソのこの日のDJがAgent Gregという人で、夫がなんとなくきいたことがある、確かかっこよかったと思う、ということであった。かくして、私たちは、再び、魔のカヴォ・パラディッソ道中を行くこととなった。
 
 
●3. 強烈オンパレードinミコノス
 しかし、今回は夫が道を覚えていてくれたようである。全く迷わず、バギーですぐにカヴォにたどり着いた。と思ったら、まだクラブ自体が開店していなかった。時刻は夜の11時。
 「あと1時間後に来て」
 私たちはやむを得ず、すぐ下のパラダイス・ビーチのビーチ・サイドのクラブ「トロピカーナ」で時間をつぶすことにした。
 
 ここから、信じがたいほどに強烈な人々や出来事が次々と私たちに押し寄せてきたのだった。
 
 トロピカーナでは、私たちの隣で踊っていた白人のカップル(これはゲイ・カップルではなく、男女のカップルだった)の陽気な小男が、私たちに話しかけてきた。
 
 「僕はイタリア人。僕の恋人、すごくきれいでしょ。男はやっぱりこんな風にしてあげないとダメだよ!」
 
 そういって、自分の恋人の背中に手を回し、抱きかかえるようにして正式な社交ダンスのように恋人の背を後ろにぐいーんと反らせる。これを何度も何度も延々と繰り返し、笑いながら私たちに見せてくる。
 要はお調子者である。
 最終的には夫もつられて、私にぐいーんをやっていた。
 
 このあたりは単に楽しい人々の思い出である。
 
 トロピカーナで時間をつぶして約1時間、カヴォ・パラディッソにもう向かってもいい頃だろう。実際、トロピカーナの人々もカヴォ・パラディッソにおそらく流れ始めていた。
 私たちはトロピカーナ入口に停めたバギーにまたがり、カヴォ・パラディッソに向かう急な坂道を上った。
 あと20メートルでカヴォ・パラディッソ到着である。
 そこで、我らがバギーは、ガス欠を起こした。
 
 「やばい、ガス欠じゃ」
 
 自分たちの目と耳を疑った。動かない?バギーが?
 
 気持ちは愕然とする。
 
 しかしまだ現実に気持ちが追いつけていない。
 
 とりあえずは、カヴォ・パラディッソに到着し、停車しなければ。
 
 夫はバギーから降り、私にバギーにのってハンドルをとってくれと指示した。彼は後ろから押すから、と。
 私は指示通りハンドルを切って、彼はうんうんうなりながらも、無事、なんとか、20メートルの距離を押し切って、バギーはカヴォ・パラディッソの駐車場に停車した。
 
 ほっとした私たちは、ようやくここで、気持ちが現実に追いついた。
 
 
 ここまで辿り着けたのはいいけど、帰りどうする???
 
 
 カヴォ・パラディッソは、ホテルからバギーで20分〜30分かかる場所にある。バギーが時速30キロと仮定して、徒歩が時速5キロとすると、これは歩くと3時間ほどはかかることになる。
  
 これは完全にトラブル発生である。
 「パスポート事件」に続く、リアル・トラブルである。
 
 ガソリンスタンドでガソリンを買って、何か容器に入れて持ってくればよいが、こんな深夜にはミコノスではガソリンスタンドはもちろん開いていないと思われる。
 
 ガソリンスタンドが朝開いた頃にタクシーでガソリンスタンドまで行って、ガソリンを何か容器に入れてカヴォ・パラディッソまで戻ってきて、バギーに入れる。これは考えられうる案だが、タクシーはミコノスでは総数20台ほどしかないらしく、この観光シーズンの明け方にタクシーをつかまえるのは至難の業とのこと。
 あとは明け方バスでいったんガソリンスタンドに行って、ガソリンを買ってバギーまで戻ってきて、バギーに投入。これが現実的な案か。
 ただ、問題は、翌朝8時には私たちはホテルを出発しないといけないということだ。そう、翌朝には私たちはミコノスを発って次の島へ出発する予定なのだ。
 私たちは、念のため、カヴォ・パラディッソの敷地内にあるジャンク・フード店を営む家族に、こうこうこういうことが起きたのだが、どうにかできないだろうか、何か手立てはあるだろうか、と相談してみた。しかし彼らの答えは空しく、残念だけど、朝まで待つ以外はどうにもしようがないよ。あるいは、そこにカヴォ・パラディッソの駐車場管理(?あるいは案内?)をしている、パーキング・ガイがいる。そいつに相談してみたらどうかな?
 
 駐車場を見やると、確かに、パーキング・ガイはいた。彼はそれらしい蛍光色の入ったユニフォームを着て、何やら駐車場でここに停めてくれなどの指導をしていた。一見、忙しそうだが、ほとんどの時間は、仲間とみえる客やスタッフと立ち話をしている。
 彼に同じことを相談してみると、いかにも神妙な顔つきで、オーケー、ちょっと俺の友達に電話してみる。彼がガソリンをもってくることができそうか、きいてみるよ。ちょっとだけ待ってな。俺も今忙しいんでな。
 そう言われ、私たちは例の敷地内のジャンク・フード店のテーブル席にいったん座る。座ってパーキング・ガイの調整の行方を待つ。・・・。待つこと30分。パーキング・ガイからは何の音沙汰もない。彼はますます仲間との雑談に忙しそうである。
 
 彼はいかにも神妙な顔をしているのだが、その実は私たちのことを忘れてしまっているんではないかという感じのする男であった。それは神妙な「ふり」をしているのではない、あくまで神妙なのだ。しかし、1秒後にはどんなことも忘れてしまっている。つまり、常に記憶喪失状態にある。そんなような感じのする男だった。ぱっと見、彼は中肉中背で、毛深くもなければ薄い顔立ちでもなく、特別イケメンでもなければ醜いわけでもない。いわゆる地味で普通な外見である。しかし、内面からにじみ出るその特殊さは隠されておらず、極めて不思議な空気をまとっている男だった。
 
 そんなパーキング・ガイに私たちは待たされて30分後、どうなったのか。友達と連絡はとれたのか。と訊いてみる。この男、私たちのトラブルのことなんて忘れていたんではないか?そんな懸念を抱きながら。
 
 「あー、友達とまだ連絡は取れないんだ。もうちょっとあそこで待っててくれよ」
 無表情に言う。それから彼は少々早口でもある。
  
 なんとも言えず、すごすごとジャンク・フード店に後戻りする。そこしかカヴォ・パラディッソ敷地内で座って待てる場所はないのである。カヴォ・パラディッソ店内からはドン、ドン、とハウス・ミュージックが聴こえてくる。大きな音が外にもれているといった感じだ。早く入りたいなあ。そう思いながら、ほとんど無言で、時折、パーキング・ガイの不思議さについて夫とふたりで話しながら、パーキング・ガイからの報告を待った。
 
 さらに待つこと20分ほど。これはもうさすがに遅い。何らかの状況報告があってもいいはずだ。パーキング・ガイはもちろんみんなとのダベりに忙しい。それでもさすがにと思い、またこちらからヒアリングに行く。
 
 「うーん、今さ、まだ友達から連絡ないんだ。ちょっと待っててくれよ」
 
 本当に、その友達にガソリンをもってくることを依頼したのか、それすらよくわからない状況報告である。さらに、感情も何もない話し方でもある。まったく、この男を信頼して待っていて、よいことはあるのか?
 
 それから10分経っても、パーキング・ガイから私たちに報告に来る気配はない。さすがにもう1時間だ。クラブの中に入らないと楽しい夜も終わってしまう。
 ねえ、いったいどうなったの?
 
 「ああ、あの件ね。君たちね。ああ、友達、やっぱり、ガソリン持って来られないって」
 
 あっけない幕切れである。さっき状況を訊いてから10分しか経っていないのに、まるでこの件を忘れていたかのような表情である。本当にそもそもその友達とやらに訊いてくれたのだろうか?もちろん、親切心で動いてくれたこのパーキング・ガイに文句を言える立場ではない。しかし、それでも彼はソーリーも言わず、笑顔も見せず、悪気も一切なく、自発的に状況報告をしてくれるのでもなく、まったく何を考えていて何を覚えているのか、きわめて謎な男だった。本当に一秒一秒、記憶がリフレッシュされて、何も覚えていない、何も感じない。何を言っても響かない。それでも一瞬一瞬を真剣には生きている。そんな男であった。
 
 無理とわかれば、もう、夜を楽しむしかない。そして、ガソリンのことは朝、なんとかバスかタクシーかで早朝にガソリン・スタンドに行って入手するしかない。
 
 カヴォ・パラディッソのこの晩のDJは、Agent Gregという男と、もう一人別の男だった。Agent GregのDJは素晴らしかった。彼個人の好みの選曲は、渋めだが盛り上がるハウスである。ただ、客にあわせて、ヒットチャート曲をリミックスしたような、より、場を盛り上げるような曲も、時おり場の雰囲気をみながら混ぜてくる。フロアもだいぶ盛り上がって、私たちも踊りまくっていた頃、おどけた踊りを絶え間なく続けて相手の女性を常に笑わせている、これまたお調子者の男がいた。トロピカーナで恋人の背中をぐいーんとやっていたイタリア人を思い出し、私たちはこのお調子者もイタリア人だと決めつけた。
 
 カヴォ・パラディッソにも、ゲイの人たちは多くいたように思う。ただ、ゲイの人たちは、人前でキスを交わしたり、ということはしないようだった。あくまで私がミコノスにいた間ではあるが、たくさんのゲイの人たちを見かけたが、ほとんどの人たちが本当に鍛えられた美しい肉体を有しており、清潔感があって、そして人前でのキスというのはなかった。
 
 そしてカヴォ・パラディッソには、レズビアンもいた。レズビアンというのはゲイよりも見た目や雰囲気でわかりづらいと思う。だから、ミコノスの街中では、あまり気付かなかった。しかしカヴォ・パラディッソではこれとわかるレズビアンを目にした。金髪のやや品の悪い派手なドレスを着た中年白人女性と、おとなしそうな黒髪の20代とみられる白人女性。二人は久しぶりの再会といった様子で、オーマイガー!的な大げさなリアクションの後、人目をはばからず、フロア脇のテーブル席あたりで抱き合い、長い長い長い長いディープキスをした。舌をからませる様子が見えた気がした、それくらい激しいキスだ。
 同性を愛そうと、異性を愛そうと自由だし、どんなキスをしたって自由だ。
 
 ただ、問題はこの後だった。
 
 しばらく私たちがフロアで踊った後のことである。私はトイレに行った。トイレの入り口には、外国ではたまに見かける、トイレットペーパーを渡す代わりに小銭を物乞いするような女性がずっと無言かつ無表情で突っ立っていた。このトイレットペーパーレディはかなり大柄で、それなりの威圧感がある。これはクラブの人間でチップを要求しているのか?あるいは個人で物乞いとしてやっているのか?よくわからない。とにかく、彼女をスルーして、私はトイレの列に並んだ。トイレは右に2つ、左に2つで、合計4つしかなく、カヴォ・パラディッソは人であふれかえっていたので、結構な人数、10人ほどの女性が並んでいたように思う。
 
 と、そのときである。並んでいた列の、とある女性が、後ろからカツ、カツ、とヒールで歩いてきて、大声で「ああー、もう、我慢できないわよ!こんな長い列!」と叫ぶように愚痴っている。並んでいる私をそのまま通り越して、右2つ左2つのトイレの間のスペースまで彼女は歩いて行った。
 
 そして、そこで、である。
 
 なんと、彼女はその場で下着をおろして、座り、用を足し始めたのである!!!
 
 10人もの女性が並んで見ている中で、である。
 
 しかも彼女は後ろもむかず、並んでいる私たちを凝視しながら、用を足しているのである。
 
 「ああー、もう、こんなの我慢できるわけないじゃない、ねー!ああー、すっきりした・・・」
 
 とかなんとか言いながら。
 
 これは、驚愕の光景だった。
 
 驚愕の中、なんか見たことある人だなあと思ってよく思い出すと、この女性は例のレズビアンカップルの金髪中年白人女性だった。
 さすが、品のないドレスを着ているだけある。
 いや、そういう問題でもない気もする。
 とにかく、わたしは前代未聞の嫌悪感を抱えてトイレを後にしたのだった。
 
 そしてその後、私はさらに衝撃的な絵を目にした。
 これは下品さはまったくない。
 ただ、ある意味では先のトイレレズビアン女以上の衝撃だった。
 
 再びフロアで踊って盛り上がっているとき、キュッと巻いた真っ赤なバンダナがひときわ目立つ、柔らかそうな金髪を超短髪にした若い男が、誰かを探すように、目を丸くしてにこにこしながら、それでも音楽にはのって踊りながら、やや不自然とも思えるガニ股で、うろうろと歩き回っていた。バンダナはカチューシャ風に下から上に巻かれて、頭の右上でピョンッとリボンのようになっており、彼は背は低めだが顔は愛嬌のある可愛らしい顔をしていたため、きっと愛されるべきお調子者といった感じでバンダナを巻いたのだろうといった雰囲気だった。10分ほどして彼を再び見かけたときには、きっと探していた相手なのだろう、いかにもガーリーな雰囲気の可愛い女性と一緒に微笑みながら踊っていた。
 
 私たちもまだフロアで踊りながらではあったが、その二人が踊っている光景を眺めていると、なんとなく私は目が離せなかった。なんというのか、とっても美しかったのだ。それと同時に、何らかの違和感が彼らのまわりから感じられた。彼のそのガニ股な身のこなしと彼の美しさとが、何らかの矛盾を起こしていたのだ。
 
 しばらく見ていて、私は思った。
 
 この人は本当は女性なのではないか?
 
 このガニ股には、何らかの無理がある。
 
 それから、私は余計に彼から目が離せなくなった。いや、もっと言うと、目で追っていた。つぶさに観察していた。顔の輪郭や肌。これらは女性のようだった。手や足の大きさ。肩幅。すべて、骨組みは、女性サイズだ。
 それでも、彼女は精一杯、男性であるように振舞っているのだ。身のこなしから表情まで、彼は立派な男性だった。
 
 私が目にしているのは、性同一性障害というものなのだろうか?
 
 単なる興味で彼を観察し続けるのは失礼すぎる(おそらく彼というほうが失礼にあたらないのだろう)。
 そして決めつけるのも失礼であることもわかってはいる。
 
 しかし、彼は本当に美しかったのだ。
 女性の私から見ても、顔立ちから何から造形が美しかったし、何よりその表情はきらきらと輝いていた。
 
 観察し続けるのは失礼にあたると、私は彼から目をそらし始めた。しかし、時折、気になっては目で追ってしまう。
 
 すると、何やら彼は相手のガーリー女性を怒らせてしまったらしく、女性がフロアから去っていき、それを彼が追いかけている。つかまえて、何やら話しこんでいる。彼は女性の目を優しく覗き込み、大丈夫だよ、と伝えている、そんな雰囲気である。
 
 ここからは私の勝手な想像であるが、彼は女性であることを、相手のガーリー女性に伝えたのではなかろうか。そして、ガーリー女性はびっくりしたのとショックとやらが入り混じって、フロアから去ろうとした。それで、彼は「ちょっと待ってくれ。ちゃんと僕の話をきいてくれ」と引きとめた。
 
 とにかく、穏やかな雰囲気で話をしていたようであるが、仲直りはできたのだろうか。
 
 そんなこんなで、踊っていたら、時刻は朝の4時を過ぎていた。そろそろ、帰ろうか。クラブを出る。外はまだ薄暗い。
 と、ちょうどそのとき、駐車場の下り坂を、仲良く肩を組んで下りていくカップルが見えたのだ。それは、まぎれもなく、あの赤いバンダナの美しい彼とガーリー女性のカップルだった。
 仲直りできたんだ!
 私は心から嬉しかった。
 
 
 さて、ここからが問題である。バギーはガス欠である。どうやって帰るか?
 明け方から、バスが定期的に来るはずだから、待つしかないよね。それで街に戻ってガソリン・スタンドでガソリンを買ってこよう。
 例のジャンク・フード店のテーブル席に座る。夫はとりあえず煙草をふかす。ふぅ。
 
 と、そのとき、ジャンク・フード店の横のカヴォ・パラディッソに向かう階段のところで、何やら女の大きな泣き声が聞こえる。見ると、一人の女性客が座り込んで立ち上がれなくなっており、男性警備員スタッフ二人で体を支えてあげて対応している様子である。 「足をくじいちゃったのよー。わんわんわん。一人で歩けないー。わんわんわん」
 大声で泣くその女は、またしてもあのトイレ騒動兼レズビアン女だった。金髪の中年女性が、いったい何をわんわんやっているのだ。
 
 すると、もうそんな時間になったのだろうか、バスが1台駐車場に入ってきた。私たちはバスに駆け寄る。
 「もう、バスに乗れるの?」
 「いや、まだだ。5時からだ。とりあえず5時からのために、今来ただけだ」
 
 がっくりとして、ジャンク・フード店に戻ろうと歩き始める。ただ、5時からはバスが動く。それが確定したことが私たちに小さな希望を与えたところだった。
 と、そのとき、あのパーキング・ガイが現れ、私たちに声をかけた。一見、何の変哲もない彼ではあるが、依然、彼からは特殊な、というか異様な空気が放たれていた。
 「おお、君たちのこと、覚えてるよ。大丈夫そうか?」
 「うん。バスが、今は出ないらしいんだけど、後で出るらしいから・・・」
 「俺がいったん街まで連れてってやるよ。カム・ヒア!」
 
 彼は言葉少なにくるりと背を向け、自分の車へと私たちを誘った。
 その背中は潔く、ある種、感動的ですらあった。
 私たち夫婦は思わず目を丸くして、「えっ?!」と顔をみあわせた。
 あの頼りない、何を考えているか一切不明のパーキング・ガイがまさかこの最後の最後に親切にも私たちを救ってくれるなんて。


「どこのホテルだ」
「ペティノス・ビーチ・ホテル」
「オーケー、場所わかるから」


 無駄のない動きと会話で車は出発する。車は私たちのまったく知らない細い裏道のようなところをするする通り抜ける。


「近道だ」
「地元の人なの?」
「そうだ。ミコノスに住んでる」
「冬も?」
「そうだ。妻と娘がいる」
「学校、あるんだ」
「ある」
「生徒は何人くらい?」
「1クラス20人くらいはいる」
「仕事中だったでしょう?駐車場の。抜けちゃって大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。あの仕事も結構きついけど、給料安いんだ」
「へぇー。どのくらい?」
「一晩やって50ユーロだよ」
「うーん。それは確かに安いといえば安いね。でもギリシャでは普通くらい?」
「よくわからん。でも俺は妻も娘も養わなくちゃいけない。ミコノスの物価は高い。その生活に対してはやはり安い」
「うんうん」


 そんな彼の事情をきいていたらあっという間にホテルに着いた。


「20ドルだ。2人あわせて20ドルでいい」


 ん?
 私たちは再び顔を見合わせた。

 そういうことか。合点がいった。それでも確かにお金を支払う価値はある。足がなかった私たちを救ってくれたのだ。私たちは喜んで20ドル払った。きっとあの生活苦しい話も、伏線だったのだ。そう思うと、笑えた。この謎のパーキング・ガイも、結局は金銭欲なのだ。なんだか微笑ましかった。

 彼はお金を受け取ると、さっさと仕事場である駐車場に戻っていった。

 これがおおよそ朝の4時半。私たちは深く短い眠りをとった。翌朝8時にはホテルを出る必要があった。さらに、その前にガソリンを買ってカヴォ・パラディッソまで行き、バギーに投入して、バギーを無事に返却する必要があった。その任務は夫に任せ、私は荷造りをした。
 なんとかすべてが間にあって、私たちは無事ミコノスの空港にたどり着いた。