Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(02)

(02) 白と青と解放の島、ミコノス到着

2013年8月29日 木曜日

 
●1. ミコノス島行きフェリー
 薄汚れた港町、ピレウスのホテルで食べた朝食は、重量感のあるパンと、固形に近い歯ごたえのギリシャヨーグルトで、これは想像以上においしかった。ギリシャヨーグルトは、ヨーグルト特有の酸味がほとんどなく、ミルクやチーズに近い感じだ。
 フェリーの出発時刻は朝7時。相当に早い。
 
 ミコノス島行きのフェリーはこれまた想像以上に大きく立派な船だった。
 室内の各部屋には座席とテレビがあり、テレビでは斬新なニュース番組が流れていた。新聞や雑誌の紙面の小さな文字をアップでテレビ画面に映し出し、それをただ指でなぞりながらただ声に出して、生真面目に読むというものだ。朗読といっても過言ではない形式であった。
 もしかしたらギリシャ人は識字率が低いのだろうか?
 
 室内の座席を予約で確保していたが、空は雲ひとつない快晴で風も爽快であったため、私たちはデッキがすぐそこに見える屋根付きの屋外の席にほとんど陣をとっていた。
 ミコノス島行きの船上では、レズビアンの発祥との話もあるギリシャの島、レスボス島を想起させる、小柄でショートカットの奇抜なメイクと不思議な猫のTシャツを身にまとった女性や、数人のゾルバまたはゾルバ風人物をを見かけた。
 
 そう、私たちは、体毛が濃く、身長は小さめだががっちりしていて、いかにも野蛮な感じのギリシャ現地人的な男性がいると、それを「ゾルバ」と呼んでいた。これは村上春樹の「遠い太鼓」でそのような人物を「ゾルバ」と称していたことの影響だが、「ゾルバ」とはそもそも「その男ゾルバ」という昔の映画の主人公のギリシャ人男性から来ている。私たちはギリシャに来る前にこの映画を観てみようとも思ったこともあったが、ネットの口コミでは、「その男ゾルバ」はあまりに原始的であり野蛮であり田舎の村人たち(「息子の恋が実らず自殺したのは女性のせいだから殺してしまえ」、「死人のものは自分のもの」といった考え方)が描かれていて後味が悪いといった感想が大半だったため、観るのをやめたのであった。
 
 フェリーでは、とあるゾルバは顔の長さの半分ほどもある大きなパイプをひとりくゆらせ、また別のゾルバは家族と談笑しながら煙草を吸っていた。
 そう、そのフェリーは異常に喫煙率が高かった、おそらくそれは7割を超えていた。
 後になってわかったのだが、喫煙率が高いのはそのフェリーだけではなかった。ギリシャ全体だった。その感じは否応なく昔の日本を想起させた、そう、ちょうどまだ私たちが子どもでバスの中に灰皿がついていた時代だ。
 いずれにせよ、それらのゾルバまたはゾルバ風人物たちは、見ているだけで、すでにギリシャのおおらかさと海の香りと反進歩性とアナログ感とを存分に感じさせてくれた。
 
 フェリーは5時間ほどののんびりした旅だったが、私たちは睡眠をとったこともあり、気づいたら、もうすぐ、とある島が目に入ってきた(ミコノスに到着する前にいくつか島に寄るフェリーだったのだ)。思わずデッキに出て、強風をものともせず、感嘆をもって島を眺める。緑のない茶色の島。建物もない。無人島?と思っていたら、島の裏側まで船が進むと白壁の街が出てきた。 
 シロス島。生まれて初めて見た、エーゲ海の島。
 海の青と建物の白と茶色の島。
 本当に存在するんだ!この風景!
 私たちの帽子は風でほとんど飛びそうだった。
 雲ひとつない青空のもと、ギリシャに来て初めて、ギリシャに来た実感と夢心地の旅に足を踏み入れた感覚だった。

 
 
●2. 到着後の苛酷感
 シロス島から数十分たつと、白と青だけでなく、時おり赤も混じった、美しい模型のような島が見える。
 
 ミコノス島だった。
 
 遠くからの眺めは、想像よりも少し貧相だった。これは、到着した港がオールド・ポートという、ミコノス・タウンから北へはずれた場所だったからだと思う。
 到着すると、よくわからないまま、ミコノス・タウン方面に行けそうなバスに乗る。
 私たちのホテルはミコノス・タウンをさらに超えて、島の南のほうの比較的静かそうな海岸沿いにあった。ミコノス・タウンまで連れて行ってもらえれば、あとはタクシーかなにかで何とかなると思っていた。
 
 しかしここからが苛酷だった。
 バスはミコノス・タウンのほんの入口のニュー・ポートまでしか行かなかった。ホテルまでは地図上ではまだまだ距離がある。歩ける距離ではない。
 時刻はお昼の1時で夏の太陽の輝きと照りつけは半端なく、11日間分の洋服などを詰めたスーツケースは非情な重さで、ミコノスの道はでこぼこが多くスーツケースを引くのにまったく適してはおらず、そしてどこまで行けばバスあるいはタクシーに乗れるのかまったくわからず、さらにこの状況では不運なことに、ミコノス・タウンは、一度路地に入ったら元の場所に戻るのは至難の業といった迷路のような美しい街並みで有名なのだった!
 
 私たちは汗だくになって、街の人たちに道をききながら、どうにか、さらなるバス乗り場があることを嗅ぎつけた。迷路のようなミコノス・タウンという評判は本当で、バス乗り場までの道のりは、地図を見せては現在地を質問し、それでも「道順なんて教えられないわ。ミコノス・タウンでは道なりに勘にしたがって歩くしかないのよ」などと哲学めいたことを言われたりで、バス乗り場まで辿りつけたのはまったく夫の方向感覚の良さのおかげだったかもしれない。
 
 ホテルに着くと、それは予想をはるかに超えた夢のような空間だった。
 水色と白で構成された、小さなお城のような、ホテル。
 長方形一つが建っているような単一の形ではなく、白の真四角や長方形がブロックのようにでこぼこに組まれた、極めてランダム性のある形で、それはまるで美しい家々が連なっているよう。
 ロビーや部屋からは、ビーチと海がすぐそこに見える。 
 ビーチにはサンベッドやパラソルがぎっしりで、人も多くいるが、ミコノス・タウンやハワイのワイキキビーチのようなにぎやかさはない。皆が思い思いに静かに寝そべっているといった感じである。
 ホテル敷地内の海側には、オーシャンビューでブレックファーストを食べられるレストランがあって、その横にはプールもある。
 
 これぞギリシャ!というギリシャ感がきゅるきゅると私の中で音を立てて最高潮に達しようとしていた。

 
●3. 三人のゾル
 ミコノス島では移動にみんなバギー(四輪のバイク)かバイクを使っていて、ヘルメットなしにきもちよさそうに乗り回していた。おそらくそれらの約半数は男同士の二人乗りで、美しく肉体を鍛えたゲイのように見える人たちだった。そして3割は男女のカップルの二人乗り、1割は女性の二人乗り、そして残り1割は一人で乗っている人たち。バスなし、タクシーなしの苛酷を体験した私たちは、みんなを見習って、すぐにバギーを借りた。バギーは、ブルンブルンブッブッと旧式に大きな音を立て、スピードはあまり出ない、それでも安定感だけは抜群で、畑仕事のトラクターに毛が生えたような乗り物だ。
 
 二人乗りバギーでミコノス・タウンまで行って、ミコノス・タウンを歩いてぶらっとして、それからリトル・ヴェニスと呼ばれる小さな入り江のすぐ海際に小さなカフェ・レストランがぎゅうぎゅうと連なっている場所で、早めの夕食をとった。
 席はもちろん、海のすぐそばのオープン・テラス。
 室内で食べているお客さんはいない。みんなオープン・テラスが大好きだ。
 まだ空は明るい。ヨーロッパの日は長い。
 
 白ワインに、グリーク・サラダと魚介グリルの盛り合わせプレート的なもの。
 レストランのウェイターは、片言の日本語で「ケイコサーン、イチバンキレイー。ケイコサン、ワタシノガールフレンド、ニッポンジーン」と、本当か嘘かよくわからない、いかにもなお調子者・対日本人・ビジネス・トークで多少うっとうしい愛嬌をふりまく。
 しかしその俗っぽい接客とは裏腹に、とにかく、魚介、特に白身魚は、身がしっかり厚くてぎゅっと密度が高い感じで大味だけれど素朴でおおらかなおいしさが口の中に広がった。
 そうして夕食を楽しんでいたとき、とあるゾルバ・グループが私たちの目に入ってきた。隣のレストランだが、みんなオープン・テラスだし、結構本当にぎゅうぎゅうとお店が隣接しているので、まあ同じレストランのようなものだ。
 
 このゾルバ・グループは3人グループで、全員がそれぞれ異なるタイプのゾルバだった。
 
 一人は、典型的ゾルバ(ゾルバ?)。丸顔でスキンヘッドで背が低くごつい、上半身は文字通り裸で、毛のほうは無論毛深く、肩毛まで生えている。年齢もゾルバ的には頃良い40代と見える。
 
 もう一人は、おしゃれゾルバ(ゾルバ?)。中肉中背で髪は短髪、ネイビーのタンクトップを着ており、サングラスをかけ、やや洗練されている。しかし、肩毛は生えており、ゾルバであることは隠しきれない。こちらは最も若く、おそらく30代。
 
 最後の一人、こちらは白ゾルバである(ゾルバ?)。通常のゾルバは、顔は白人寄りだがエーゲ海のきらきら太陽により肌の色は褐色に近い。しかしこの白ゾルバは、めちゃくちゃに白人であった。多少の肌の病気を患っていたのかもしれない。いわゆるアルビノ的な白さがあった。アルビノ的な肌に、ふさふさとした白髪を生やしていた。彼は50代、または60代、いや70代かもしれない。かなりの老いが感じられる。
 
 彼らがどういった集まりなのかは最後まで解き明かされなかった。
 ミコノスの他の男性同士のグループと同様、ゲイの確率が高いのか、しかしゲイにしては、ゾルバ?とゾルバ?はあまりに美的感性に乏しいように見える。ゾルバ?は粗雑すぎるし、ゾルバ?はあまりに特殊すぎる。
 
 よく観察していると、白ゾルバであるゾルバ?がトークの主導権を握っているようで、その病弱そうな外見とは裏腹に、よく飲み、よくしゃべっている。年長者の功であろうか。それから、おしゃれゾルバ(ゾルバ?)は、そのトークを熱心にきいているようである。こちらもよく飲んでいる。そして典型的ゾルバなるゾルバ?はというと、他二人の話をきいているのかきいていないのか、とにかく終始下を向き、皿の上のロブスターと熱心に格闘していた。丸っこいその手をさらに丸めて、ロブスターの殻をとっては口に入れ、また殻をとっては口に入れ…。とにかくマイペースであった。
 
 私たちがあまりに熱心に観察し、また時に彼らの写真もこっそりと撮っていたことから、最後には目が合って、私たちの彼らへの尋常ない注目が日の目に晒されてしまった。
 ゾルバ?は見た目どおり最も愛嬌のある性格らしく、私のほうに満面の笑みを浮かべて歩み寄ってき、握手を求めてきた。私は握手しながら、最もシンプルかつ気になっていたことを質問した。
 「あなたは、ここのミコノスの現地の方なのですか?」
 「俺はアテネの人間だよ。アテネからよく来るんだよ」
 なるほど。現地ではないが、やはりギリシャ人ではあり、やはりゾルバではあった。その確認ができただけで私は満足だった。
 
 そのあとはまたミコノス・タウンをぶらっとして、同じリトル・ヴェニスに戻ってきて、夕陽をゆっくりと眺めながらお酒だけいただいた。同じことをしていてもぜんぜん飽きない。ゆっくりと流れる美しい時間。

 
●4. 星空と異次元空間
 元祖パーティー・アイランドとの前情報も得ていたことから、夜はもちろんクラブ!ということで、最も有名だという「カヴォ・パラディッソ」に向かう。結論からいって、この日のパーティーはあまりよくなかった。選曲がイケイケで、私たちの好みではなかったというのが一番の原因。
 
 それよりも、私がとても印象に残っているのは、「カヴォ・パラディッソ」にたどり着くまでのバギー道中である。
 私たちがホテルを出発したのは、おそらく夜の11時か12時頃。
 「カヴォ・パラディッソ」はスーパー・パラダイス・ビーチ(すごい名前である)付近にあるということで、スーパー・パラダイス・ビーチをめざしてバギーは進む。ミコノス・タウンまででも20分程度で着くので、地図上の距離的に考えると、20分、多くかかっても30分程度で到着する予想である。
 
 向かってみると、あまりに標識が少なく、道はくねくねで、自分たちが今どのあたりにいるのかもわからないばかりか、どちらに向かえばよいのかもわからない。一つ道を間違えると、道ではない道のようなところに入ってしまったり、文字通りの迷子になってしまう。
 
 それでも、雲ひとつないミコノスの夜空は、みあげるとあふれんばかりの星が輝いていて、夜の黒い闇はとてもクリアで、ヘルメットをかぶっていない頭に風は心地よく、バギーの後部座席に乗っかった私は、このままこのきもちいい時間がずっと続けばいいと体のどこかで感じていた。
 
 解放感。
 
 たぶんこの言葉が最も適切な気がする。
 もちろん、「カヴォ・パラディッソ」に辿り着きたかったのも確かだし、バギーを運転してくれている夫はきっと必死で道を探してくれていたのだから、こんな風に感じていたのは多少は不謹慎だったのかもしれないけれど。 
 
 ほとんどどこへ向かっているかわからない状態で進み続けて、30分かそのくらい経った頃だろうか、私たちは曲がりくねった坂道をどんどん登り続けて、かなり高い丘の上にまで来ていた。少し先には、オレンジ色の光の中に王様の住んでいるような堂々とした建物が見える。
 「あれがカヴォ・パラディッソじゃない?」
 「ね。たぶんそうよね?」
 
 期待に胸を膨らませ、坂道をバギーがうなりながら一生懸命に上る。頑張るバギーに愛着が湧いてくる。クラブの音楽はまだ聴こえてこない。人の気配も、ない。上れど上れど、近づけど近づけど、音楽は聴こえない。人の気配も、まだ全然ない。とうとう、その王様の棲みかのような立派な建物に着いてしまった。それでも音楽は聴こえない。もちろん、人は誰もいない。非情ともいえる静けさだった。私たちは、この建物がカヴォ・パラディッソではないということはほとんど理解していたが、それでも藁にもすがる思いで最後の確認のため、バギーから降りて、その建物の門のようなところまで歩いた。
 ――ホテルだった。
 
 「振り出しに戻ったねー」
 「振り出しだわー」
 お互いにそう言いつつも、実際は振り出しに戻るも何も、そもそもどこへも向かっていなかったんだということはわかっていた。そして、これからどっちへ向かったらいいかも皆目見当がつかない。標識が少なすぎて、たったひとつのヒントすらなかった。
 
 インターネットが使えてiPhoneが使えてGoogleMapが使えたなら。こんなことにはならなかっただろう。もちろん。
 でも、私はやっぱりこの状況が楽しかった。はっきり言って、楽しかったのだ。
 
 携帯電話がないって本当にいいなあと思った。まあ、旅先だからこんな悠長なことを言っていられるのだろうけれど。
 
 そこに立ち止まっていても何のヒントも得られるはずもないので、なんということもなく、バギーに乗っかる。なんとなくの夫の方向感覚に任せて、バギーを進める。
 
 しばらく進んだところで、パーティーをやっている家が見つかった。外に数人のグループがいたので、カヴォ・パラディッソまでの道を訊ねてみた。彼らはすでにひとパーティー終えたところなのだろう、テンション高く、口々に言った。
 
 「あー、カヴォ・パラディッソ!トロピカーナってクラブのほうにいくとカヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 「僕たちも行くんだよ、これから。カヴォ・パラディッソに」
 「ちょうどいい、僕ら今から車に乗って先に行くから、車の後ろをついておいでよ!」
 
 彼らに後光が差している気がした。やっと希望の光が見えた!
 
 「ありがとう!!!」
 「やったね!」
 私たちは興奮しながら、その集団の車について行った、しかし、バギーののろいスピードではあっという間に希望の車との車間距離が広がっていった。曲がり角の先で、希望の車は待っていてくれると信じていた。しかし、ハイテンションな彼らを乗せたその希望の車はあっという間に消え去った。
 心やさしく律儀な日本人の常識はそこでは通用しなかった。ここは自由と自律と解放のミコノスだった。
 
 「スーパー・パラダイス・ビーチはこっち」という標識がところどころにあることを唯一の手掛かりに、私たちはあきらめず、バギーと共に進んだ。なぜなら、帰り道すらわからない、本当の迷子になっていたからだ。すでに出発して1時間以上は経っていただろう。
 
 丘からは完全に下りて、海側に近い感覚を得ていた。
 静かな道端に、松葉杖をついた一人の男が立っていた。パーティー・アイランドのミコノスで、こんなパーティーの時間帯に、道端に松葉杖の男が立っている絵は、奇妙だった。彼に道を訊こうと近づくと、彼も松葉杖を使ってこちらに歩み寄ってきてくれる。
 「カヴォ・パラディッソはあっちだ」
 彼は右手で、ゆっくりともっともらしく、遠く右側を指していた。右側は、私たちがもと来た方向だった。
 「ありがとう!!!」
 
 私たちはその足の悪い男の導きに従い、もと来た道を右手に戻ってカヴォ・パラディッソを探そうとした。しかし標識まで戻ると、どう見ても左向きに「トロピカーナ、こっち」と矢印がある。さっきの希望の車の集団は、トロピカーナのほうに行けばカヴォ・パラディッソもある、と言っていた。足の悪い男は右と言い、希望の車の集団は左と言っている。矛盾だ。いったいどちらが正しいのだろう?
 
 標識の前で途方に暮れる私たちのところに、さらなる指導者が現れた。
 車に乗った男に、声をかけて、再び道を訊ねたのだ。
 「カヴォ・パラディッソ!道は知っているけど、説明が難しいな…。うーん、とにかくこっちに向かって、トロピカーナってクラブのほうに向かえば、カヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 トロピカーナ
 彼も左を指していた。
 やっぱり希望の車の集団が正しかったのだ。あの足の悪い男はなぜだか嘘をついていた。おそらく嘘をついたという認識もないのだろう。ただ単に適当なのだ。
 
 結局、この最後の車の男が結果的には救世主となった。
 私たちは、無事、カヴォ・パラディッソに辿り着いた。もはや時間の感覚はなかった。それくらいの時間が経っていた。実際は、2時間くらい経っていたのだろうか。
 
 「カヴォ見つからない事件」の顛末はこんな具合であった。
 
 夫が後から言うには、トロピカーナもカヴォ・パラディッソも、スーパー・パラダイス・ビーチでなく、パラダイス・ビーチ(ややこしい名前だ)のほうにあったということだった。それが私たちの勝手な思い込みで、スーパー・パラダイス・ビーチをずっと目指していたことが敗因だった、と。確かに調べてみたら、そのとおりだった。
 
 しかしよくよく思い返してみると不思議なことがあった。
 この翌日、太陽のぴかぴかと輝く時間帯に、スーパー・パラダイス・ビーチを目的地とし、実際すぐに何の問題もなくスーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けたのだった。確かに、カヴォ・パラディッソは本当はパラダイス・ビーチにあったのだから、あの晩、カヴォ・パラディッソ到着に苦戦したのは理解できる。しかし、あの晩、間違った目的地ながらもカヴォ・パラディッソがあると思い込んでいたスーパー・パラダイス・ビーチを目指していて、そのスーパー・パラダイス・ビーチにすら辿り着けなかったのである。これはよく考えたら奇妙である。
 
 スーパー・パラダイス・ビーチの標識に従っていたのに、スーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けなかった。
 
 もしかしたら、あの晩、私たちは異次元空間にでも迷い込んでいたのだろうか?あの、世にも美しい星空とこの世のものと思えない解放感はそのせいだったのだろうか?