Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(07)

(07) 荒々しき島、ザキントス島での苛酷な一日

2013年9月3日 火曜日

 
●1. ザキントス・ブルー
 
 この日は早朝から、ケファロニア島のペサダというところから出ているフェリーに乗って、お隣の島、ザキントス島へ。
 
 紅の豚のモデルになったというシップレックビーチがほとんど唯一の目当てである。
 シップレックというのは難破船のことで、70年代にこの浜あたりに乗り上げてしまった船がそのままになってしまっているということ。崖に囲まれた小さな砂浜と真っ青な海、そしてその難破船が絵葉書のような絵を作っている場所。
 あとはこの島にも「青の洞窟」があるとのことで、この2つが唯二の目的地といったところである。
 
 ザキントス島へのフェリーは、日本から予約しようと試みたのだけれど、ネット予約はおろか、電話ですら1週間前にならないと予約は受け付けないという意固地なローカルっぷり。
 1週間前に日本からなんとか電話予約したが、予約番号なるものすらなく、
 「あなたの名前を言えば大丈夫だから」
 といわれた。
 
 ということで、とりあえずフェリー乗り場でチケットを買う。
 名前も何も予約のことは一切訊かれない。予約の有無すら訊かれない。だが、チケットは買うことができた。フェリーには、例のHertzで借りたオートマ車ごと乗った。ザキントスでも車がないと厳しいみたいだったから。
 フェリーの中は、そこそこ人はいて、数十人といったところだろうか。その中には、アメリカ人と見られる、あごのない太ったおじさんとごく普通の中年女性のカップルが、仲睦まじく、体を寄り添っていた。あの太り方、あのあごのなさはアメリカ人と推察される。アメリカ人もこんな場所まで来るんだなあ。
 
 ザキントス島に着き、早速、シップレックビーチへ連れて行ってくれるボートの予約小屋に向かう。
 シップレックビーチは島の端っこにあるのだけれど(ビーチだから当たり前)、ここに行くには断崖絶壁すぎて、車では行くことができない。だから車ではなく小さなボートで行く。それが唯一の方法である。15人乗りくらいの、小さなボート。
 ボートの予約小屋は5〜6軒あって、それぞれが四角い木造りの、人が一人二人立って入れるような小さな縦長の箱のようなものの中に人が立っている。そこでみんなが多少の価格競争をしながら、がんばっている。
 
 いくつか予約小屋をまわったところ、10時出発と11時出発があるとのこと。今の時刻は10時ちょっと前。急ぐのも好きじゃないし、水着を下に着ておきたいし、おなかもすいたし、なので11時出発にしようか、とチケットは買った上で、港近くのカフェで休憩。
 
 10時半頃になって、そろそろ早めにボートの場所に行っておくかなと再び予約小屋A(一番繁盛してそうなところ。私たちがチケットを買った小屋)に行ってみると、そこの店番の彼女、
 「ごめんなさい、ちょっと11時出発のボートは出発しないかもしれない」
 と申し訳なさそうな顔を精一杯に作って言ってくる。
 
 「え???」
 
 私たちはまたもハプニングの予感のするこの一言に、注意深く反応する。
 
 「今日は波が荒くて、もうボートが出られないかもしれないの。10時出発のはさっき出たんだけどね。11時出発のは無理かもしれないの」
 
 
 私たちの頭を絶望の二文字がよぎる。
 
 
 シップレックビーチのためにこの島にはるばる来たのに・・・?
 
 
 「もしも欠航になったらお金は返金するわ」
 

 あわてて、他の予約小屋をまわる。予約小屋Aは欠航するかもと言っているが、みんなどこも同じ状況なのか?
 
 予約小屋B(無責任そうだけれど調子だけは良さそうな大柄なおじさんゾルバが、スーパー内の小屋で経営している)
 「今日はわからない。まだわからない。波が大きすぎるから」
 
 予約小屋C(フェリーの港のすぐそばの無口でぶっきらぼうな翳のあるおじさんゾルバ)
 「今日は無理だ」
 
 予約小屋D(なぜか港から結構歩くところにある若めのにいちゃんゾルバ)
 「大丈夫だと思うよ!」
 
 希望の光が見え始める。
 
 予約小屋Dのにいちゃんゾルバ(つづき)
 「俺の本部はあっちにあるから、一緒に行こう」
 
 本部?
 
 とにかくその本部に向かって、にいちゃんゾルバと私たち3人で歩き始める。
 
 「日本人かい?」
 「うん」
 「ヤクザ、知ってる?」
 
 もちろん、アクセントは「ク」にある。
 そして唐突である。
 
 「ヤクザ?」
 「うん」
 「もちろん、知ってるけど。ヤクザが何?」
 「みんな、このあたりの予約小屋のやつらは、ヤクザなんだよ」
 「???」
 「マフィアとヤクザ、同じようなもんだろ」
 「うん、まあ・・・」
 「みんなね、適当なこと言ってるんだ。波が荒くて欠航だとか何とかさ。人をだましてさ。欠航なんて、ないさ!みんなマフィアだよ。気をつけろ」
 「ふうーん。(いったいそれのどのあたりがヤクザまたはマフィアなんだろうか???)」
 
 てくてく歩いて、彼の本部に到着。
 その本部とは、なんとさっき私たちが訪れた予約小屋B(スーパー隣接)だった。
 
 予約小屋Bの無責任おじさんゾルバ(あくまで見た目)が何やら険しい顔をして携帯電話で話をしている。
 予約小屋Dのにいちゃんゾルバは、「どう?」みたいな顔で無責任おじさんゾルバと目で会話をしている。
 無責任おじさんゾルバは険しい顔のまま、電話を切る。
 
 
 「やっぱり無理だ。今日は欠航だ」
 
 
 さっきまで欠航なんてないとのたまっていたヤクザ好きのにいちゃんゾルバは、驚くふうでもなく、そうか、と頷き、
 「ごめんよ」
 と一言置いて軽やかな足取りで去っていく。
 
 
 こんなのってない。
 もはや本当の絶望だった。
 なぜなら他にやることがない島に残されたあげく、計画変更になったから早めにケファロニア島に帰りたいと思っても、無理なのだから。
 なぜならザキントス島ケファロニア島の間のフェリーは、行きと帰りで1日1便ずつしかないから。
 
 空は真っ青な晴天で、悪天候の「あ」の字も見えない。それでも、シップレックビーチのあたりの波は本当に荒いらしい。
 
 海辺の岩場のちょっとしたスペースにあるテーブル席のようなところでとりあえず気を落ち着ける。私のほうはまだ大丈夫だけれど、感情の起伏のあまりない夫のほうが今回は落ち込んでいる。それもそのはず、彼は宮崎駿の映画が好きで、特に紅の豚が大好きなのだ。シップレックビーチに行きたいというのももともとは彼の発案だった。

 「仕方がないね」
 「うん」
 「まだ、ザキントス島の『青の洞窟』にも行けるし!それにシップレックビーチを崖の上から観ることができる場所もあるってガイドブックに書いてあったし。あとで行ってみよ」
 「うん」
 
 彼が落ち込むのも無理はない。誰にも非はない。彼は落ち込むと回復に時間が長くかかるほうだ。そっとしておけばよいものを、なんとか回復させようと私がむやみに話しかけて墓穴を掘ってもっと二人の雰囲気が悪くなる。
 
 「とりあえず、『青の洞窟』行きのボート乗ろっか」
 
 無言で暗い顔で15人ほどで満員の、モーター駆動のボートに乗り込む。私たち以外はみんな白人だ。子どもも多かった。そして現地のゾルバ1名が運転手である。真っ青な海の上の小さな船の上、日差しがもろに肌に突き刺さる。逃げ場はない。顔が自然と険しくなる。ザキントスの『青の洞窟』は海側から海岸線を見たときに見える洞窟風の岩の連なりで、本当に岩に覆われて内側に存在する洞窟というのとは少し違っていた。景色を見たときの感動、という意味ではケファロニアの『青の洞窟』のほうが圧倒的に素晴らしかった。それでも、ザキントスはザキントスで、一味違う楽しみを与えてくれた。
 
 「はーい、ではここでボート一旦停止しまーす」
 
 ボートのエンジンが止まる。岩場に近いが、浜や浅瀬などはない、海のど真ん中である。
 
 「みなさん、ここで20分時間がありまーす。好きなように泳いでくださーい。集合をかけるから、声が聞こえる範囲でね!」
 ゾルバ運転手は、日焼けした顔をにこにこと輝かせて大声で言う。
 
 みんな、上着を脱いで水着になる。船上からザッバーン!と子どもたちが一番に飛び込む。それから、おじさん、おばさん、おねえさん、おにいさん、みんなが勢いよく飛び込む。水泳の得意な夫はすでに飛び込んで、笑って手招きをしている。と、思ったら、何かに気付いたようで、急いで海に再びもぐる。30秒ほど経っただろうか、まだ水の上に顔を出してこない。どうしたのだろうと思っていると、カメラを上にあげて笑顔で顔を出した。
 
 「カメラ落としてしまっとった!よかったー!」
 
 あぶないとこだった!!!
 そんなこんなを見届けて、私は飛び込むのが一番最後のほうになってしまった。それでも私も上着を脱ぎ捨て、勢いよく飛び込む。
 
 
 
 ここの海の色。
 
 
 
 絵の具で、幾種類もの青を、濃く塗り重ねたような、不思議に濃い青色。濃いのだけれど、群青色でもなく紺色でもない。水色もしっかりと見えるし、透明度もある、濃い青なのだ。
 もぐっても、この濃い青はそのままだった。これには本当にびっくりした!自分は、自然の景色とかそういったものを心から美しいとかって思うようなタイプの人間ではないと思っていた。どちらかというと、人間の心の動きや人間の造形美、要は物よりも人間に興味や美しさを感じるタイプだからだ。それなのに、この青、ザキントスの海の青には、ハートを討ち抜かれた、という陳腐な表現がぴったりくるほどの気持ちになった。なんだかすべてがどうでもよくなるような、この美しさ!そして水の気持ちよさ!砂浜や浅瀬がないということもあり、開放感が半端ない。自然の中に放り込まれた感じ!
 私たちははしゃいでいた。はしゃいで海の中でお互いにおどけたポーズやらふざけたポーズやらをとって写真を撮り合った。
 
 「なんか、あっちのほうは道みたいに見える!!!もぐって見てみんさい!」
 「ほんまじゃ!」
 
 夫はもぐっているうちに、海の中で、岩と岩にはさまれて道のように見える場所を見つけたらしく、それを教えてもらってふたりで大興奮。とにかく、子どものように遊べて、本当に楽しかった。20分なんてあっという間で、集合をかけられて、終わり。
 
 シップレック・ビーチに行けなくて暗くなっていたことなど忘れて、ふたりとも機嫌も治ってしまっていた。
 
 そのあとは気を取り直して、シップレック・ビーチを上から観るために、崖の上までドライブ。
 遠目に観たシップレック・ビーチは圧巻の絵だった。海の青さ、まわりの崖の芸術的美しさ、それらの常にみずみずしい自然の中で、ぽつんと浜に残された茶色い古い朽ち果てたような船。そのコントラストこそが、単純な美ではなく、どことなく物哀しい味のある哲学的な美しさを生み出していた。
 
 繰り返しになるが、シップレック・ビーチは、確かに、圧倒的すばらしさだった。ただし、このあたりから、ザキントスの苛酷道中が度を増してくる。
 
 
●2.苛酷道
 
 シップレック・ビーチをきれいに観るための場所に行くには、高い高い崖(おそらく標高500メートルくらい?)の上の岩場を結構な距離を歩かなければならない。そんなことまでは知らない私は、その岩場にやや厚底のビーチ・サンダルで臨んだ。岩場というのは、歩くのに普段取らない姿勢をとることになるため、意外と疲れる。さらに厚底ビーチ・サンダルで、15分も20分もとなると、結構な足の痛さである。
 
 車に戻ってきたときには、私の機嫌はかなり悪くなっていた。
 機嫌が悪いというよりは、ほんとうに足が痛くて疲れてしまっていた。
 
 靴は厚底ビーチ・サンダル、服装も青の洞窟で泳いだ以来着替えていない、水着とその上にパーカーを羽織った状態。水着は濡れたままだ。気温はめちゃくちゃ暑いから、濡れていても冷たくはないが、濡れたままというのは、気持ちいいものではない。
 それから、ザキントスの道は、舗装がきれいにされておらず、ほとんどの道がでこぼこ道だった。そのでこぼこ道を、例のHertzレンタカーで借りた小さな2人乗りの車で行くわけである。乗り心地がいいはずがない。
 さらに、車の中で音楽をかけようにも、いつもは後部座席に置いておく、iPhoneが差しこめるタイプのBOSEのポータブル・ステレオが、後部座席では道がでこぼこ過ぎて、不安定で、すぐに落ちてしまうのである。したがって、助手席の私がBOSEを抱えなければいけないという非常事態。
 
 崖歩きで疲れた足。濡れたままの水着の気持ち悪い感。でこぼこ道。BOSEを抱える。この時点で、すでに四重苦である。
 
 「どこ行く?」
 「とりあえず島の南の方面に行ってみたいかなー」
 
 ケファロニアに戻るフェリーの時刻まで、あと3時間くらいある。そして、もう行くべきところは行った。実際は、ものすごく行きたいところは、もうないのである。しかし、フェリーの時刻があるから、それまで時間つぶしをしなければならないという、四重苦の上に塗り重ねられる、五番目の苦。
 この五重苦のなか、私たちは何を目的とするでもなく、南のあたりのビーチを目指す。これが意外にも時間がかかり、ビーチに着いた頃には、フェリー出発まで残り1時間30分くらいだった。
 
 「泳ぐ時間、あるかな?」
 「どちらにしろ、私はもう疲れちゃったし、パラソルの下で本でも読んどるよ」
 「ちょっとだけ、俺、泳いでくるね」
 
 パラソルの下から見るザキントスの海は、なんと、荒れていた。強風という表現では足りないくらい、風が吹き荒れていた。
 
 これって、もしかして、ケファロニアに戻るフェリーまで欠航になってしまうパターンじゃ・・・。かすかな心配が頭をもたげる。 
 15分くらいすると、夫が無邪気な笑顔で走って戻ってきた。
 
 「そろそろ行こっか。結構時間やばいかね」
 「そうじゃね。シップレック・ビーチ観る崖から、1時間30分くらいかかったけぇ、フェリーの港には1時間あれば帰れるはずなんじゃけどね」
 
 帰ろうと車に乗り込んで、カーナビに「アギオス・ニコラオス」と入力する。フェリーの港の名前だ。検索結果0件。当たり前だ。これはケファロニアのHertzで借りた、しかも超ポンコツのカーナビだ。
 
 まずいな。
 
 道がわからない。
 苛酷がさらに私たちを追い詰める。
 
 二人とも、顔がまじめに焦っている。というか焦り以外の何物もない。残り時間は1時間弱。もしもフェリーに乗り遅れたら、この何もないザキントス島に一泊する必要が出てくる。さらに翌日からのアムステルダムへの出発フライトなどにも間に合わなくなる。
 
 とりあえず北と思われる方角に車を進める。途中の洋服屋さんで地図を見ながら道を訊ねる。道は通りの名前がついているわけでもなく、街の名前を目印に進むしかない。地図ももらったにはもらったが、地図の示す範囲は広すぎて、参考程度にしかならない。洋服屋さんのすらりと素敵な中年女性に教えてもらったことは、わかったようでよくわからない。が、とにかく焦っている。時間がない。とりあえず何回か、言われたとおりに曲がったけれど、本当に正しい道順で来ているのか、わからない。
 
 勘と、時折見かける街の名前の標識を頼りに、なんとなくくねくねと曲がり、高台のような丘のような場所にある村のような場所まで来た。このあたりで、もう一度訊いてみようか。まわりに何もない道に、ぽつんと古風な広々としたローカル・レストランがあったので、入って、訊いてみた。しかし、誰も英語がわからない。仕方がないので、店長風の老人と、地図に印をつけながらお互いに片言で会話する。
 
 「AGIHIOS NIKOLAOS」
 の場所にぐるぐると丸をつける。
 
 彼は、あー、あー、とわかったような顔をして、にこにこ頷いている。ここを出て坂を下って道なりに行けばいい、そういう風に指で指し示す。
 
 なるほど。坂は下ると。・・・そこから道なりって???具体的には全くわからない。
 
 それでもこれで会話は終了するしかない。何しろ時間がないのだ。とりあえず坂を下る。右手には平原があって、それから海が広がっている。まだ丘の上のような場所ではある。少し村らしく家々が建ち並んでいる風景に変わってくる。この道このままで合っているのだろうか?不安なまま、車を進め続ける。
 
 この丘の上の村には村人たちが多く行き交っていた。その大半は、家や店の外のテーブルに集まって、椅子に座ってのんびりと話に興じているだけである。とある白ひげの長老風のゾルバがやたら目立つ3人組が見えたため、港までの道を尋ねる。
 
 「アギオス・ニコラオス?それはこの道であっとる。これをまっすぐいけば、そろそろアギオス・ニコラオスと書いた標識が見えてくるだろう。ただな、おまえたち。帰りの船は、もうあと10分もせんうちに出るぞ。間に合わんのじゃないか」

 長老のその言葉に私たちがパニックになったのはいうまでもない。
 そう、私たちは19時を目標に進んではいたが、フェリーの正確な出発時刻を把握していなかった!19時まではあと20分はある!でもあの長老があと10分というならあと10分なのかもしれない!紙のチケットなるものは存在しないし、インターネットにも接続できず、正確な出発時刻を把握する手段はない。
 
 とにかくあと10分というなら是が非でもこのでこぼこ道を進むしかない。なんとなくいやな絵が頭をよぎる。フェリーに乗れず、このザキントスで嫌々一泊している絵だ。
 
 あと10分という長老のリミットはちょうど越えてしまったころに見覚えのある港の景色が目に入ってくる。
 
 「あー!ここじゃね!」
 
 一瞬、ふたりの顔に笑みが浮かぶが、すぐに、ふたりともその笑みを消す。長老のいうとおりだったなら、もう船は出発しているはずだ。
 おそるおそる、しかし超高速で、港まで車を運ぶ。
 そこで私たちが目にしたのは、港に並ぶ、車の列だった。これで、船が出ていないことは半分くらい確定だった。でも、もしかしたら他の島行きの船かもしれない。列の先頭あたりを見ると、船長風のユニフォームに身を包むすらりとした男がいて、これは行きの私たちの船の船長と同じ人物である気がする。
 
 「これはケファロニア行きのフェリーを待っている列ですか?」
 
 クールな船長はにっこりと微笑む。
 
 このときの私たちの安堵といったら!!!
 
 結局、船の出発は19時過ぎてからだったように思う。少なくとも、あと10分と長老が言ったときからは10分は優に超えていた。
 
 「あの長老、めちゃ嘘つきじゃね!」
 「まじ、嘘つきじじいじゃね」
 
 結果、長老を嘘つきじじいと勝手に命名し、笑えるような事態になって、ほんとうによかった。長老には申し訳ないけれど。
 後に旅の写真を見てみると、シップレック・ビーチを崖の上から見た写真の後は、一切写真が残っていない。写真を撮る余裕がなかったのだと思われる。そのくらい、苛酷な時間であった。
 
 
●3.パンゾル
 
 無事、船に乗り込み、五重苦のひとつであった、「青の洞窟で泳いだ以来着替えていない水着とその上にパーカーを羽織った状態」を解消すべく、お手洗いに入って着替えを行う。その帰り道のデッキで、二人のゾルバがにこにこと話しているのに遭遇する。
 一人はやたら大柄で髪の毛もいい感じにぼうぼうの、いかにも野蛮な男。もう一人は一般サイズの男。野蛮なほうは、その大きな顔のさらに2.5倍ほどもある丸いパンを両手に持ってむしゃむしゃ食べている。彼はそれを誰彼かまわずちぎって渡しているようで、私にも満面の笑顔でちぎって渡してきた。隣の男を見ると、彼もむしゃむしゃと食べている。
 
 「僕の家族が作ってくれたんだ。おいしいよー」
 
 遠慮なくいただくと、本当においしかった。外側はぱりっぱりで固く、内側はほわほわとしている。しかしどっしりとした重みもあって、なんだか大地の味がする。そんなパンだった。
 
 私は、おもしろいゾルバを発見したと嬉しくなり、すぐに、客室内にいる夫を呼びに行く。
 
 パンゾルバはもちろん、当然のごとく、夫にもパンをちぎって渡す。
 
 「ここで何をしているの?」
 「俺たちは船のクルーでな、やることないからここでしゃべってるだけだよ」
 「クルーって何するの?」
 「俺は担当はメカニックだよ」
 
 なるほど、メカニックだと、想像できることとしたら、出発前の点検と、運転中はトラブルの際の修理、とそんなところか。だから、運転中は暇なのかな。そんなことを日本語で夫と笑って話した。
 
 「でもなぁ、俺はもうすぐ引退なんだ。来年だ。そしたら退職金もらって、家族と住むんだ」
 
 彼の顔はほんとうに嬉しそうだった。同時に私は村上春樹の「遠い太鼓」に登場したギリシャ人、ヴァンゲリスを思い出した。
 
 「ヴァンゲリス、貧乏。でもみんな元気」
 「なあ、ハルキ。あと六ヶ月だよ」と彼はウインクしながら言う。「あと六ヶ月で年金がおりるんだよ」年金のことを本当に楽しみにしているのだ。
 
 など数々の名言、名シーンを残した、あのフラットの管理人である。
 
 と、思い出したところで、このパンゾルバはいったい何歳なんだ?と思い至る。春樹のヴァンゲリスは少なくとも年金をもらえるということで私の中では60歳前後である。
 
 「引退かぁー、いいなぁ!ところであなたは何歳なの?」
 「43さ」
 
 43歳で引退!
 なんと素敵な人生!
 ここにギリシャ経済破綻とセックス回数世界一の根幹を見た気がした。きっと(これは推測でしかないが)ギリシャでは、43歳で退職とは、めずらしいことではないのではないか。後日、というかこの旅行記を書きながら、気になって調べてみた(いずれも出典はOECD2006−2011年)。
 
 「実効リタイアメント年齢」制度上の定年ではなく、国民が実質的に労働市場から脱落する年齢
  日本   69.3歳
  ギリシャ 61.8歳
  
  結論:日本は確かに働かなくなる年齢が高いけれど、ギリシャもさほど低くもなかった。
  
  
  ついでに、もうひとつ見つけた情報。
  
 「年金がそれまでの収入の何%まで補うか?」
  日本   34.5%
  ギリシャ 95.7%
  
  結論:驚愕の事実。それは早めに引退したくもなる。
  
  
 それで、話は戻って、パンゾルバである。
 
 「君たちも一緒に来るかい?」
 
 連れて行かれたのはフェリーの操縦室である。大きな木製のハンドルを使って船長が操縦している。他にも2人ほど、クルーが座っている。
 
 「ヘイ!こいつら、今、デッキで出会ったんだ。よろしくな!」
 
 パンゾルバはいたって陽気である。しかし船長や他のクルーたちはさほど私たちを歓迎していないようでもある(少なくともパンゾルバほどは歓迎していない)。私たちも極力陽気なテンションで話しかけ、さらに操縦室に初めて入ったことに驚きの色を見せる(実際に初めてだったので嬉しかった)。パンゾルバはマイペースに続ける。
 
 「操縦してみなよ」
 
 「え?いいの?だって、練習とかじゃなく、ほんとにお客さん、乗ってるんだけど・・・」
 
 「だいじょうぶだよ!」
 
 船長にも念のため「だいじょうぶなんでしょうか」ときいてみたが、船長も「イッツオーケイ」とクールに交わす。
 
 私なんかが操縦してもだいじょうぶなのかという不安と、まあでも大海原の上なわけだから舵取りしてもしなくてもそんな変わらないでしょというなめきった考えとが入り混じりながら、ハンドルの前の椅子に座る。ハンドルは重く、船も重かった。少し左右に動かすだけでも大きく船の向きが変わるのがわかる。次に、夫も同様に重々しい手つきで舵をとってみる。
 
 1分ほどずつの舵取りを終えて、世間話をしてから、船の客室に戻る。
 
 実際はあまりに疲れたため、客室の長椅子でうとうととしていた。目が覚めると、私たちの後ろには、何食わぬ顔をして、おそらく私たちに気づきもせず、例のパンゾルバが私たちと背中あわせで座っていた。そして、時折、人々がそばを通るとにっこりと話しかけていた。油を売るとはまさにこういうことである。おそらく、であるが、ものすごおおおく、暇なのであろう。
 
 うとうとしているところ、波がものすごいのと、それに揺られて海底の岩?にぶつかる感じとで、また苛酷なシチュエーションではあった。けれども、みんながデッキに出て騒ぎはじめたので、何かと思って私たちもデッキに向かうと、この紺色の大海原の上から見る夕陽が、なんとも雄大で、荒々しく、真っ赤で美しいのであった。ギリシャに来てからはほとんど毎日、夕陽を見ている。しかし、このときの夕陽は、ミコノスの洒落た海岸レストランから見る夕陽とも違うし、ケファロニアの穏やかな砂浜で見る夕陽とも違っていた。なにか、自然の大きさや強さをじかに感じる、別の美しさを湛えた体験であった。
 
 
 無事、ケファロニア島の港に着いたのは夜も遅く、ホテルのあるペタニ・ベイに戻るまでは約1時間かかる。したがって、ペタニ・ベイに帰るまでの間にあるアルゴストリという中心街に立ち寄って夕飯を食べることにした。正直、ここでは選んだレストランも東京にありそうなものであったし、野蛮な島での苛酷な体験により多大な疲労状態にあったため、ほとんどの会話や人物も印象に残っていない。しかし、唯一印象的であったこと、それはアルゴストリの広場では、夜24時を回っても、大勢の子どもたちが(それは本当に大勢としかいいようがないほど大勢だった)、野球場で見られるナイター試合のライトのようなまぶしい光のもとで、めいっぱい遊んでいることだった。自転車にのったり、一輪車にのったり、サッカーをしたり、駆け回っていたり。そもそもこの日は平日真っ只中である。仮に夏休み中だとして翌日学校がないとしても、日本の感覚からしたらいくらなんでも夜遅すぎる。
 なんたる。
 タバコがどこでも吸える点といい、こういった無邪気な育児方針といい、なんだかギリシャっていうのは、日本の昭和くらいの時代感覚がする。そしてそのマイペースさがとってもいとおしい。