Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(05)

(05) ケファロニア島の静穏

2013年9月1日 日曜日

●1. ケファロニアHertzにおける一抹の不安
 朝の便でミコノスからアテネに飛ぶ。ケファロニアへのいったんの乗り換えのためだ。
 
 ミコノスを後にするのは正直寂しかった。
 あのようなドタバタ劇や衝撃の同性愛、奇人変人祭りの夜の後だと、なおさらだった。
 ミコノスの空気、それは本当に独特のものだった。
 自由と解放、それらがいわゆる作りこまれた表面的な感じではなく、その島、その土地自身から、目に見えない菌のように、自然に放出されていた。
 そこでこそといった雰囲気で愛を楽しむ同性愛者たちや、夏だけしか人が集まらないという島の性質上、どことなく不安定さを空気に湛えていた。
 そういった自由と解放、不安定さとカラフルな風景の美しさとが、まるで芸術家のような印象を与える島だった。
 
 アテネから、再び飛行機で、ケファロニア島へ。アテネ空港の搭乗ゲート待合室では、洒落た音楽がかかり椅子もすばらしく座りごこちがよく、広々としており、夫はこれまでの旅行でいちばん気にいった待合室だと言った。
 
 ケファロニア。
 ミコノスのことはなんとなく見聞きしたことがあった一方で、ケファロニアは、ギリシャに行くと決めた後で初めて知った島だ。
 ガイドブックの数ある島から、この島に行きたいと決めた。
 ガイドブックによると、セレブリティたちにも最近人気の、ゆったりとした雰囲気の大きな島とのこと。ビーチはもちろん、青の洞窟や、茶色の洞窟もあり、ワイナリーもある。自然の見所が多い島という印象だった。
 ミコノスで騒いだ後は、こういった島でゆっくりしようというのが私たちの思いだった。
 
 ケファロニアの空港はミコノス以上に小さくこじんまりとしていた。そして、人間の数もぽつんぽつんといった感じで極端に少なかった。空港客は、10人かそこらだったと思う。
 やはり、観光地として有名なミコノスに比べると、とても静かだ。
 静かすぎて、小さな不安が心に起こってくる。
 この島、本当に大丈夫なんだろうか?楽しめる場所なんだろうか?
 
 ケファロニアは面積の大きな島で、レンタカーを使うことに決めていた。事前に空港のHertzレンタカーを予約していた。小さなカウンターには2人ほどしか担当者はおらず、鼻眼鏡の白人のおじさんが担当のようだ。
 「ちゃんとここにサインしてくれ」
 ぶっきらぼうだし少し威圧的であるが、それはどちらかというと保身のためというよりもちゃんと仕事をやっていると見せかけたいがための威圧のようでもあった。
 私たちはカローラ・サイズの一般的な車を事前に予約したはずだった。鼻眼鏡は続ける。
 「マニュアル車だけど大丈夫か」
 私たちは顔を見合わせた。まさかのコメントだった。マニュアル車とはきいていなかった。おそらくインターネットの予約ページに書かれてはいたのだろうがまさかいまどきマニュアル車とは思わず、しっかりと見ていなかったのだ。
 「まあ、大丈夫かな。うん、大丈夫大丈夫」
 夫はやや苦い顔をしながら言った。鼻眼鏡は続けた。
 「あれだよ。ギリシャは、だいたいがマニュアル車なんだ。オートマ車だと、ほら、このSMARTっていう車、こういった小型車しか今はない」
 このSMARTという車はただの小型車というよりは「とんでもなく小型車」で、要は2人乗りの車だった。
 私たちはやむなくマニュアル車に決めた。
 
 外はくそ暑いという形容詞がぴったりというくらい、じりじりと暑かった。
 風が強いミコノスとは違い、風がいっさい感じられなかった。時刻は午後3時かそのくらいだったと思う。車に乗り込むまでにスーツケースをトランクに入れたりしているだけの時間でも暑さが耐えられないほど暑い。
 
 車に乗り込んで、クーラーを最強の設定にしてからカーナビを手に取る。いやに小型だし、いやに反応が悪いし、いやに画質が粗くフォントも大きかった。なんとなく嫌な予感がした。
 ホテルの名前を入力する。
 「ペタニ・ベイ・ホテル」
 ――ピロン!「一致するものはありません」のメッセージとエラー音。
 仕方ないか。
 カーナビにホテル名が登録されているほど、ギリシャは先進的ではないのかもしれない。
 次に、ホテルの住所を入力する。
 ――ピロン!「一致するものはありません」のメッセージとエラー音。
 住所でなく、街の名前だけを入力しても、同じく、「一致するものはありません」のメッセージとエラー音。
 街の名前がヒットしない検索となると、いったい何がヒットするのだろう?
 やむを得ない。標識を頼りに進むしかない。諦めと共に、とりあえずはエンジンをかける。
 
 それから数キロメートル、夫は、マニュアル車と格闘していた。マニュアル車なんて久しぶりとのことで、やはり感覚を取り戻すのは結構大変そうだった。私は言った。
 「せっかくの旅先で事故起こしたり無駄に疲れても仕方ないから、やっぱりオートマ車に変更してもらう?」
 「いや、大丈夫。もうすぐ慣れると思う。慣れれば大丈夫」
 このやりとりを何回か続け、結果、オートマ車に変更することになった。実際、慣れれば大丈夫だったのだと思うし、しばらくすれば慣れたのだろうとは思う。
 
 そういうわけで、私たちは、Hertzに電話しながら、来た道を戻る。
 空港に戻ると、あの小さなHertzのカウンターに、四、五人の小柄なギリシャ人たちがひしめき合っている。さっきは担当者二人だったのに、車種の変更というだけで、人が増員されており、みんなやいのやいのと忙しそうにしている。何をそんなにせわしなくしているのかわからないのだが、動員された小太りの若い女性担当者などは
 「車種変更は本当に大変なのよね。本当に変更するの?」
 と問い詰めてくる次第である。
 そんなこんなで変更してもらったオートマ車は確かに「SMART」という名の車で、本当に2人乗りの車だった。安心には代えられないと、この小さな車を受け入れた。
 それから、戻ったついでに、カーナビのことについて訊いてみた。
 「カーナビにホテルの住所を入れても何も一致しないといわれるんだけど、操作方法が間違ってるんだろうか?」
 「ちょっと貸してみて」
 鼻眼鏡はカーナビを操作しながら、同様に「一致するものはありません」のメッセージとピロン!というエラー音を何度も出されている。いろいろな地名を試しているようだが、一向にヒットする気配はない。ピロン!と鳴るたびに、彼は「チッ」と舌打ちする。
 「あー、よくわからん!他の担当者に訊いてみてくれ」
 
 別の若めの男性担当者に訊ねてみる。
 
 ピロン!
 
 ピロン!
 
 ピロン!
 
 ピロン!
 
 彼が操作してもエラー音の頻発は変わらない。
 何を入力してもエラー音である。
 最終的に彼が採った方法は、地名の入力を断念し、地図画面上で「このあたりに行きたいんでしょ」と、それらしき場所をポイントして設定し、そこまでのルートをカーナビに出してもらうという、ごくアバウトな方法であった。
 この方法であれば、最初から私たちにだってできるし、そもそも行ったこともない場所の細かな地図レベルでのポイントができるわけがない。
 
 結局、私たちは、おそらく操作方法は間違っていなかったのだ。
 ギリシャの島々のカーナビは、おそらくまだ未開で、進化の過程にあるのだ。
 ということで、私たちは、ホテルの近くの街のうち、カーナビに登録されている街をまずは目的地に設定して、あとは標識に従うというごく常識的な方法を採ることにした。
 
 
●2. 穏やかな幸福
 ホテルを目指すドライブでは、なんとなくの違和感がまだふわふわと二人の間を、車内を、浮遊していた。あんなにも楽しかったミコノス。あんなにも個性的だったミコノス。あんなにも美しかったミコノス。それがこのケファロニアの眺めといえば、雄大な山の緑と海の碧、そして空の空色。確かにスケールは大きいけれど、あまりにも何もない。いったいここに「何か」があるのだろうか?
 
 カーナビで近くの街まで来て、あとは標識に従いながら進んでいた。とあるT字路に来て、左側の矢印で何とかという町、右側の矢印で「ペタノイ・ビーチ」とある。私たちのホテルは「ペタニ・ベイ・ホテル」である。そして、紙の地図上でも私たちのペタニ・ベイ・ホテルは「ペタニ・ビーチ」のそばにある。
 
 「ペタノイ・ビーチ?」
 
 私たちはまたもや顔を見合わせる。ペタノイ?ペタニ?どっち?ペタノイに行けば合ってるの?と二人の顔は共通の疑問を物語っている。
 ホテルに電話をしてみる。今、T字路にいるけれど、ペタノイ・ビーチのほうに行けばいいの?
 電話に出たのは、日本でいうところの九州のおばちゃんといったイメージの訛りの強い、豪快な笑い方をするおばさんで、
 「ペタノイ・ビーチ、オーケー、ユー・ゴー・ライト、ゼン、ゴ−・ライト・ゼン、ゴー・アズ・ザ・ロード・ゴーズ。オーケー?ユー・ゴー・ライト、ゼン・ゴ−・ライト・ゼン、ゴー・アズ・ザ・ロード・ゴーズ。オーケー?」
 と、壊れたぜんまい仕掛けのおもちゃのように同じことを延々とそれはそれはそれは大声で繰り返した。
 とにかく、ペタノイ・ビーチと書いてある方へ行くしかなかった。
 
 なんとかおんぼろカーナビとともにペタニ・ベイ・ホテルに着いた頃には夕方になっていた。
 
 しかし、それはとても素敵な場所だった。想像以上の場所だった。
 それは、車の中でケファロニアに何もないことを内心不安に思った自分を恥じるほどに。
 
 小さなペタニ・ビーチを見下ろすほどの高さのある山道にその朱色を基調としたホテルはあった。
 インターネットで見た写真と全く同じに、プールの淵が海側に切られて、プールの水と海の水とが溶け合って混じり合っている光景があった。そこに空の青も混じって、この世のものとは思えないほどの美しさだった。
 そして、この場所の最も素敵なところ。それは、その、静けさだった。
 限りなく音が存在しない世界。
 俗世から隔離されている感覚。
 私たちは、すぐにペタニ・ベイ・ホテルが気に入った。
 
 荷物を置きに部屋に向かおうとする私たちをロビーで引き留めたのは、例の電話の豪快な女将だった。彼女の存在感の大きさ、これは他の従業員たちと全く異質のもので、彼女が女将だということは絶対的に誰にでもわかってしまう、そんな人物であった。
 「ちょうどね、あんたたちと同じ日本人のカップルが来てるのよ」
 私たちは同じ日本人カップルがいるといわれて、嬉しいというよりもこんなマイナーな島に日本人カップルがいるといわれて驚いた。
 「彼らはかなり長期間でのんびり滞在していて、確か10日間弱この島にいるってことだよ。あんたたちと同じでハネムーンらしい」
 そんな話をしているところで、ちょうどその日本人カップルが姿を現した。男性は背が低くまじめそうな人で、女性は男性と同じくらいの身長のショートカットで気さくそうな笑顔の人だった。
 「こんにちはー」
 彼女は日本語で話しかけてくれ、何日間いるんですか?あら、私たちはケファロニアだけにのんびり滞在なんですよー。今は下のビーチまで歩いていってきてー。などと世間話をして、終わった。とても爽やかなカップル。

 日本人カップルがロビーからいなくなった後も、女将はまだまだ私たちを解放してくれはせず、懇切丁寧に、地図にしるしやらメモやらを書きながら、ケファロニアの見どころを教えてくれた。
 「ケファロニアには何日いるんだっけ?」
 「今日と明日はずっとケファロニア。あと明後日は日帰りで隣のザキントス島に行ってケファロニアのこのホテルに戻ってきて泊まる予定だよ」
 彼女はあからさまに残念そうな顔をして
 「今日はもう夕方だし、ケファロニアをじっくりと回れるのは明日だけってことね」
 「そうだね。もうちょっとゆっくりできればよかったんだけれど。ザキントスも行ってみたくって、この旅程にしたの」
 「ザキントスね〜・・・」
 彼女は苦虫をかみつぶしたような、あるいは憎き者のことを思うような顔を作って見せた。
 「ザキントス、あんまり楽しくないの?あるいは、ザキントスのことあんまり好きじゃないの?」
 「好きじゃないどころか、大嫌いだよ」
 大嫌いというところは彼女は「Hate」という言葉を使った。英語で「Hate」は相当嫌いじゃないと使われない。
 「なんで嫌いなの?」
 私は笑いをこらえながらきいてみた。彼女はあまりにも感情があけっぴろげで、とても微笑ましかった。
 「なんでとか、理由なんてないよ。ただ、ケファロニアの人間は、ザキントスは好きじゃないんだよ。何にもないしね、あんな島」 
 強い郷土愛。こういうのって、郷土愛がほとんどない私は目にするといつもすごいなという尊敬のきもちと不思議なきもちとの両方に満たされることになる。
 
 部屋は数室しかなく、ちょっとしたコンドミニアムのような形で、ロビーと宿泊部屋とは別の建物になっていた。ホテルの中庭のような場所を歩いて、宿泊棟まで案内される。中庭には可愛らしいカラフルなすべり台や砂場があって、小さな子どもたちが遊んでいた。
 
 「あれはオーナーの娘たちです」
 案内してくれていた従業員が教えてくれた。女将はオーナーなのだ。そしてなんともプライベートなホテル。
 
 私たちは、とりあえず陽が落ちる前に、下のペタニ・ビーチまで行ってみることにした。車で3分ほどだという。水着も持たず、瓶ビールとグラスワインをそれぞれ片手に、ただふらっと遊びに行った。
 ペタニ・ベイ・ホテルと同じく、プライベート感の強い、小さな美しいビーチで、小さな海辺のバーが控えめに洒落た音楽を流していたが、それもうまくこの静けさとマッチしていた。
 人もほとんどおらず、私たちの他に、2、3組の人たちがいるだけだった。
 
 空は水色と薄いオレンジ色が、横に長くのびて溶け合って、新たな美しい色彩を作っていた。
 私たちは海岸の岩場にふたり寄り添ってこしかけ、海に落ちゆく夕陽を、何を話すともなく、ただ眺めていた。
 
 なんと贅沢な時間!
 
 後になってみると、この1シーンは、とても地味ではあったけれど、これぞ新婚旅行というようなゆったりとした幸せがあって、切り取って真空保存しておきたい、そんな1シーンだった。
 
 夕食はペタニ・ベイ・ホテルのすぐそばのローカルな暖かい雰囲気のレストランでとった。
 レストランの広いプール付きの庭のような部分では、豪華な衣装のセレブリティな雰囲気の人たちが30人〜40人ほど、わいわいと食事をしていた。これはセレブの貸切パーティーか何かかな?今日は入れないのかな?と思って、念のため、レストランで働く老女に訊いてみた。
 「今日、私たちも入れます?」
 老女は首を振って「ノー、イングリッシュ」と困った顔をする。そのほかの老女2名も同じように顔をしかめて首を振っている。
 
 すると、セレブリティへの料理出しに忙しそうな30代か40代の背が低くまるっとした体型のチャキチャキとした女性が笑顔で戻ってきて、
 「どうしたの?」
 と話しかけてきた。彼女だけ英語が話せるようだった。
 「今日、私たちも入れます?ここで食べてもいい?」
 「オッケー」
 チャキチャキは笑顔で返してくれた。
 「あれって貸切パーティーか何かじゃないの?」
 「あれは、ウェディングだよ」
 
 他人様がウェディングをやっている中で他の客も食事ができるのだ。
 
 なんとオープン!
 
 もちろん、通常の客のエリアと、ウェディング客のエリアは異なっていた。ウェディング客はプール付きの庭部分で、私たち通常の客は、そのウェディングを上から眺められるような、少し段で上になった部分の席だった。私たち以外にも通常客は数組いた。
 ウェディングは幸せな空気をこちらにも伝播してくれて、よく外国の映画でみかける、みんなで手をつないで輪になってダンスをするようなものもあって、楽しそうだった。
 
 私たちはそんなウェディングを眺めながら、ケファロニアのきりっとした白ワインと、サラダとオムレツとミートパイ(ケファロニアはミートパイで有名とガイドブックにあった)、それから骨付きの豚肉のグリルを堪能した。ミートパイの中には、ミートと野菜だけでなく、炊いたお米も入っていた。だいたいの付け合わせにフライドポテトがあった点は謎だったが、どれもその土地の家庭料理的な味がして、暖かい感じがした。
 それにしても、このレストランは、例のチャキチャキの彼女により切り盛りされていた。例のホテルの女将といい、このあたりは女性がチャキチャキ働くのが特徴なのだろうか?