Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

ギリシャ・オランダ夏旅行(09)

(09) feels good in アムス

2013年9月5日 木曜日

●1. 自転車天国
 翌朝は、気持ちのいいお天気で、前日とはうってかわって、半袖でも十分な気温だった。私が出かける前にシャワーを浴びたり準備をしている間、夫は暇なのでひとりで公園でも散歩してくるとふらっと出て行った。
 戻ってくるなり、彼は言った。
 「あー、めっちゃ気持ちいいよ、外。でね。やっぱり、ホテル、別のとこに移る?」
 
 昨日の私は、決してテンションを下げるようなところは見せなかったはずではある。しかし、いつも一緒にいる夫にはホテル・ショックのテンションをやはり少なからず感じさせてしまったのだろう。私は彼のいつもながらの優しさに感謝しつつも申し訳ないきもちでいっぱいで、
 「いやいや、だいじょうぶだよ。ここで」
 と返した。しかし、彼も引き下がらない。
 「でもさ、せっかくの新婚旅行だし、少し多く払っても、ちゃんとさ、ひと息つけるようなところのほうがよくない?」
 「う、うん・・・でも・・・」
 こんなやりとりが何往復か続いた後、結局、ヒルトンに移ることになった。彼の言うことには一理あった、というか、実際は私も彼が言ってくれたことに同じ価値観だった(せっかくの新婚旅行だし、のくだり)。彼が私を思ってくれて合わせてくれて言ったのか、彼自身も本当に同じような価値観でそういってくれたのか、そのあたりはよくわからない。彼はそういう優しい人なのだ。
 
 とにかく、モーテル風ホテルには申し訳ないけれど、モーテル風は脱出することにした。本来はこのモーテル風に3泊する予定だったのだけれども。モーテル風を出る前に、フロントの女性は
 「どのあたりが悪かったかしら?」
 と訊いてきたけれど、私たちはなんとも答えず
 「ノー、ノー、イッツオーケー」
 とだけあいまいに答えて出た。モーテル風のキャンセル料金も払ったわけだから、決して悪いことをしているのではない。それでも少し失礼な気持ちがした。
 ヒルトンは歩いて10分ほどのところにあったのは不幸中の幸いだった。ヒルトンは、とっても清潔で、居心地よく、ホテル変更はやはり正解だったと思う。
 
 ヒルトンでは自転車の貸し出しもやっていたので、レンタサイクルショップに行く手間が省けてさらに好都合だった。1日15ユーロくらいだったと思う。
 その自転車に乗って、さっそくゴッホ美術館とその隣にあるミュージアム広場へ向かう。風と太陽がほんとうに気持ちいい。ゴッホ美術館に入る前に、今日は何も食べていないことにようやく気づく。ホテル騒動で忘れていたのだ。ミュージアム広場の脇にある屋台のホットドッグを買って、ケチャップとマスタードとピクルスとサラミチップ的なものをたっぷりとかけて、広場の端っこで芝生に座って、ぱくっとぱくつく。広場には、多くの人々が適度な人口密度に散らばって思い思いに時を楽しんでいる。私たちのすぐそばには、小学校の休憩時間(あるいは課外授業?)と思われる小学生30人ほどと大人3人ほどがいて、大人たちはオランダ国旗カラーのアイスキャンディーを子どもたちに配っている。ザ・ゲルマンである超金髪超白肌のオランダの子どもたちは見ているだけでも美しく、それらが飛び跳ねながらアイスを受け取って、ぺろぺろなめながら自然と何人ずつかのグループに分かれておしゃべりをしたり、一人で芝生に座って食べたりしている。
 ホットドッグと緑と美しい外国の日常風景。なんでもない幸せってこういうことを言うんだなあ、と感じるひととき。
 
 ゴッホ美術館を観てまわってから、再びミュージアム広場に出て、オランダのお菓子、ストロープワッフルの屋台を見つけたので、食べてみる。結果、想像とは違う食感で、中のシロップがめちゃくちゃ歯にくっつくお菓子であった。それから、ミュージアム広場の有名な「I amsterdam」のオブジェがにぎわっている中、そこで記念写真を撮る。
 この後は、自転車に乗って、とにかく街中を回った。市街地の中心であるダム広場、アムス中央駅を抜け、中央駅の裏の運河に面して建っているシロダムというカラフルでおしゃれな集合住宅を見に行った。市街地をちょっとだけ川側に出たところ。これは現代建築として非常に有名とのこと。
 さらにそのまま中央駅から見て裏の方角には、大きな川の湾の中に島が点在していて、橋を渡りつないで、有名な橋、通称アナコンダ橋へと向かう。アナコンダ橋は赤とその上下にうねりにうねるその形が有名とのことで、行ってみると、思いのほかサイズが小さく、しかし小さい分、うねりはさらに大きく感じられ、坂の傾斜も大きく、おもしろい橋だった。私たちは自転車を止め、歩いて対岸まで橋を渡って、それからまた戻ってきた。橋の入り口には制服を着た2人の男がいた。1人は白人、1人は黒人であり、一見ガードマン風ではあるが非常に暇そうである。周辺は観光客が多いというよりはふつうに人が居住している雰囲気の場所で、空き地では大学生と思われる男子10人ほどが輪になってサッカーボールで独自の遊びを展開しているほどのどかである。ガードマンが必要そうな空気はみじんも感じられない。私たちはその制服組が気になって、いったい何をしているのかと訊いてみた。
 
 「何って一応見張りってことになってるよ」
 「ときどき、危険なことするやつがいるからさ。橋の上から川へジャンプしたりだとか」
 
 2人はやる気なさそうに、あるいは暇すぎて活力をなくした人のように、答えてくれた。なるほどね、と一応納得して、私たちは自転車に乗りその場を去ったが、自転車に乗りながら夫と一緒に「あれは暇だよね」「いい仕事だね」と感想を言い合った。
 
 この後は、自転車に乗って、市街地の中心に戻って、売春で有名な飾り窓近辺を通ってみたり、コーヒー・ショップ(マリファナのカフェ)もいくつか見かけた。それから大麻ミュージアムもいくつかあって、いくつか入ってみた。
 
 こう書いてみると、アムスではどこどこへ行った、あそこにも行った、という記憶しかないんかい、という感じがする。しかし、アムスの最大の楽しさ、それはこの自転車だった気がする。自転車に乗っていると、なんというか、無駄なことを頭で考えず、気持ちよさに身をゆだねることができる感覚になる。たぶん、体を動かしていることや、危険な事故に巻き込まれないようある程度乗っていることに集中していること、夫から離れないようついていこうとがんばってペダルをこぐこと、とかそういったいろいろなことによって、そんな感覚になることができるんだと思う。それでも、つらい、きついと感じることはない、なぜならアムスという街は、素敵なオープンテラスカフェや緑にあふれ、洗練された現代建築物と古き良きヨーロッパ風の建物が隣り合わせで混在しており、中心街に行けば多国籍感やマリファナ臭のする無法地帯感も味わえ、人々は楽しそうに自転車に乗り(ほんとうに自転車が多い!)、風はきもちよく、この日はお天気も最高という、なんとも贅沢な楽しい街だからだ。
 
 そんなこんなで日は暮れて、夕飯は、昼間のサイクリング中に見かけた、市街地の中心を流れる運河に面したカジュアルなレストランで食べたい!とそのおしゃれなオープンテラスの(ギリシャは暑いからオープンテラスなのはわかるが、オランダも涼しい気候ににも負けずみんなオープンテラスが大好きだ)お店に向かって自転車をこいだ。しかし、そのお店はなかなか姿を現してくれず、迷路のようなアムステルダムの街を私たちは迷子のようにさまよっていた。そして、気づけば、何度も同じ道、同じお店に戻ってきてしまい、その迷路っぷりはミコノス・タウンも顔負けといったところだった。
 ようやくたどり着いたそのレストラン、期待していたのだが、味のほうは今回の旅行の中で最低の味だった。夫のほうはグラタンのようなものをいただいて、これはまだ食べられる味だったが、私のほうは豚肉のなんとかソースがけで、このソースがアメリカのバーベキューソースをさらに味の質を落としたような、得も言われぬ不思議なまずさだった。豚肉もぱさぱさと硬く、味気なかった。というわけで、申し訳ないけれど、ほとんどここでは食べなかった。

 
●2. 東南系@ホランド・カジノ
 夕食のあと、自転車でホテルに戻って、正装に着替える。楽しみにしていたカジノに行くためである。昼間は動き回るから、ショートパンツにTシャツ、サングラス、コンバース(ネイビーのオールスター)。夫も昼間はTシャツにカジュアルなパンツ、サングラス、コンバース(白のジャックパーセル)。しかしカジノは正装が必要とされるとガイドブックに書いてあったため、私はワンピースに黒タイツとハイヒール。夫も高級なシャツとパンツにベルトと革靴。このためだけに、靴が余分に一足必要だったわけだから、スーツケースの無駄使いといえば無駄使いである。でも、カジノに入れないという事態は招きたくなかったため、きちんと持っていった。
 
 その正装で、再び自転車に乗る。正装と自転車はあまり似合わないが、とにかく自転車が便利だし気持ちいい。
 せっせとこいで市街地中心部に入る手前にあるホランド・カジノに着く。カジノ自体は大きく立派でやや高級感もあるのだが、カジノのまわりには、競馬場のまわりにいそうな、あるいは人気のサッカー試合のスタジアムの外にいそうな、やさぐれた、少し危なそうな男が7、8人うろついていた。目を合わせないようにして、そそくさと建物の中に入る。
 
 建物の中にはすぐにエントランスがあり、がらんと天井が高い。入場料は5ユーロと良心的。1階の奥に部屋に進むと、客同士で戦うポーカーテーブルがいくつも並んでいる。テーブルはほぼ満席。やってみようかとも思ったが、あまりにみんな玄人戦士っぽいので躊躇し、結局2階へ。
 2階は、客同士で遊ぶというよりは、きちんと店のディーラーやらが仕切ってくれている場所だった。ポーカー、マルチポーカー、ブラックジャック、ルーレット、それ以外にもいくつかのゲームがあったが、私たちがわかったのはその4つ。夫は友人からバカラがおもしろいときいていたらしく、バカラがないことを残念がっていた。それでも、時折お酒をたしなみながら、それでもほとんどゲームに2、3時間の間遊びに集中し、とても楽しかった。結果、私13000円ほど、夫8000円ほど、それぞれ勝った。
 
 なお、実際のところ、中に入ってみると、正装という正装の人はさほどおらず、みんなジーンズやチノパン、ポロシャツや中にはTシャツの人もいたと思われる。私たちは「正装損」をしたわけではあるが、カジノに入れないかもしれなかったというリスクに比べれば、やむを得ない。
 
 途中、ブラックジャックに夢中になっていた時間帯に、ずっとゲームには参加しないで、解説者のように横でごちゃごちゃとしゃべっている男がいた。高い声で早口に、彼は延々としゃべり続ける。見た目は東南アジア風、タイかベトナムか、そういった感じの人種だが、英語は達者である。もしかしたら「日系アメリカ人」のように「東南系アメリカ人」なのかもしれない。
 私たちは、この人はきっと尊敬すべきブラック・ジャックオタクであるに違いない、したがってこの人に訊けばいろんなことを教えてくれるに違いない。そう思って、話しかけてみた。すると、流れるようにするするとしゃべってくれる。東南アジア人特有の鋭い眼光を放ちながら。
 
 「ディーラーのアップ札が6までの場合は、こっちは絶対ステイしないとだめなんだよ」
 「こっちが17以上の場合は、絶対ステイだよ」
 「ダブルダウンっていうのは掛け金をオリジナルの2倍に追加することができるけど、ヒットは1枚だけしかできなくなるんだよ」
 
 テーブルを離れようとした後も、彼はわざわざこちらに来てくれ、
 「また、何か教えてほしいことがあったら、呼んでくれ」
 とぽんぽんと私たちの肩を叩いて去っていった。おそらく、彼は真のブラックジャック・オタクなのであろう。
 
 こうして、この東南系とともに私たちのカジノの夜は更け、深夜3時の閉店後、ヒルトンに戻って爆睡した。