Modern Life Is Rubbish

美しいもの。本、映画、音楽、そしてそのほか雑文

村上春樹「騎士団長殺し」

村上春樹騎士団長殺し」のあらすじと感想です。

あらすじ(本の背表紙より):
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた・・・・・それは孤独で静謐な日々であるはずだった。 騎士団長が顕れるまでは。


ま、最初はネタバレしないよう、この程度のあらすじで。
とにかく孤独な男が騎士団長に出会ってあれこれ起こる。というお話です。
もう少し設定だけ補足すると、「妻に捨てられた男が、様々な個性的な人たちに出会い、その人たちに巻き込まれる形で不思議な世界で冒険をしていく」というお話です。

ネタバレしてよい方は、この文章の後半の「ネタバレ有り感想」の「あらすじ」をご覧ください。

で、感想ですが
最初にネタバレ無し感想
途中からネタバレ有り感想を書きます。

■まず、ネタバレ無しの感想から

まずはネタバレの無いレベルの感想です。

ひとこと感想

途中まですごくおもしろかったです。
冒頭から、春樹ワールド全開で、最近の作品が変わってきたなあと思っている長年のファンの方は、おそらく「春樹はコレコレ!」と膝をうつような描写も多いことでしょう。
上巻を読み終えたところでは、いろんな感情移入や自分のセンチメンタルもあり(飛行機の中で浸って読んだこともあり)、私は軽く茫然と涙を流していました。
ただ、下巻の途中から、物語の収束のさせ方が、少し雑になったかなと。

あとは、個人的にかもしれませんが、本作は、何といっても「サブ主人公」なるアノ登場人物の魅力!を楽しめるかどうかも大きいかなと思いました。この「サブ主人公」は、フィッツジェラルド華麗なるギャツビー」のギャツビーと、チャンドラー「ロング・グッドバイ」のレノックスを想起させると私は思いました。その詳細は、「ネタバレ有り」のほうで後述。

特別な作家

村上春樹は私にとって特別な作家です。
中学生の頃、学校の先生に教えてもらって初めて読み、すぐにその世界観と文体の虜になり、解読本などまで買って読みました。
その前から、海外文学などは家に置いてあるものをたらたらとは読んでいたものの、小説というものにどっぷりハマるきっかけになったのも、おそらくはこの春樹体験が原点です。以降全作品読んでいます。
そんな「私にとって特別な」作家、村上春樹の2017年新作。

「話の筋」ではなく「文体と世界観」

まず一つだけ言いたいこと。
「今回の」(※)村上春樹の作品は、優れたストーリー展開の作品だと思って読むものではない、ということです。
つまり「話の筋」を追うのではなく、その文体や世界観をただひたすら楽しむためのものとして、すごく上質に作られたものだ、と割り切って捉えた方がいい。まるでカフェバーで雰囲気作りのためにただ流しっぱなしにしてある洒落た映画のように。そうしたカフェバーの映画について、客は物語の筋など追ってはいないのと同様に、「騎士団長殺し」ついても、物語の筋を追うという楽しみ方よりは、まるで音楽や温泉に身を浸すようにその文章に身を浸していく楽しみ方をおすすめします。
「話の筋」を追った場合、「もっとおもしろい本はいくらでもあるじゃん」「もっと登場人物に感情移入できる本はいくらでとあるじゃん」と思われる可能性があります。

(※)「今回の」村上春樹の作品は、と限定したのは、これまでの春樹作品全てが「優れたストーリー展開ではない」とはいいきれないからです。おそらく、「騎士団長殺し」よりストーリーとして優れ、おもしろい展開、収束をしている春樹作品はあったと思います。

「意味解釈」

そしてもう一つの春樹作品の楽しみ方、「意味解釈」。これは「世界観に身を浸す」ためには大なり小なり必要になってくることかもしれませんが、特に春樹作品全般において、「意味解釈」を楽しむのが好きなファンも多くいるようです。過去の作品については解釈本も出ているくらいですから。つまり、たとえば「あの緑色の砂は何を意味するのか?」とか「あの白い顔の男は何を象徴しているのか?」などです。
今回の「騎士団長殺し」も「意味解釈」どころは満載となっており、インターネット上でも、読者のいろいろな「意味解釈」が飛び交っています。多くのファンが「意味解釈」を楽しんでいる模様なので、きっと「意味解釈」にハマる方はいると思います。
私ももちろん「意味解釈」をしながら読みました。というか、メタファーが多すぎて「意味解釈」しながらでないと読めない。ただ、私個人の読み方が変わってきたのでしょう、今回は「意味解釈」よりも「文体・世界観」と「ストーリーテリング(話の筋やキャラへの感情移入)」に重きを置いて読んでいました(そして後者は今回の作品の土俵ではないと感じました)。

以上がネタバレ無しの感想です。


■以降は、ネタバレ有り感想


以下はネタバレもあるので、まだ読んでない人は読まないでください。


多くの春樹ファンが関心のある「意味解釈」中心の感想とは異なり、私は「物語の筋書き」や「キャラクターへの感情移入」を中心に感想を書いています。

あらすじ(ネタバレ有り)

あらすじは、妻に捨てられた男が、様々な個性的な人たちに出会い、その人たちに巻き込まれる形で不思議な世界で冒険をし、冒険を乗り越えた結果、妻とよりを戻す、というものです。
もはや春樹作品の典型といってもよいパターンです(最後の妻とよりを戻す、というところはこれまでの作品にはおそらくなかったが)。
様々な謎が物語途中まで配置され、「途中までは」とてもおもしろかったと思います。もちろん「文体・世界観」に及んでは、いつも通り、「最後まで」素晴らしかったと思います。この小説を手に、お風呂や寝床に入ったり、甘いものやコーヒーをいただいたり、そんなことをしながら、文体に浸り、至福の時間を過ごせました。ありがとうございました。

物語の収束

それで今回の作品ではなぜストーリーテリングが優れていないと私は思ったか。
まず物語の収束のさせ方が雑かなと。
下巻の真ん中あたりから、不思議な世界(イデアの世界)を冒険し、地下世界のような洞窟のような場所の「狭い穴」をも体を張ってエイ!とくぐり越える。これが意味するところは(「意味解釈」がないと読めないというのはこういうところですが)、おそらく「自身の闇と向き合い乗り越える」ということなのでしょうが、これを機にすべてが解決、少女も救出、妻ともよりを戻す、というのがちょっとイージーすぎるし、説得力がない。
そして主人公以外の人間についての「どうなるんだろう?」「何が隠されているのだろう?」という物語の謎があまり解かれていない感もありました。免色渉の少女との物語の進展や、冒頭でインパクトを残す「顔のない男」が「顔がない」ことの必然性、「秋川笙子の秋川まりえ」の関係が「不思議だ」という伏線の回収、秋川笙子が読んでいた本は結局何だったのか、などなど。さすがに雨田具彦や白いスバル・フォレスターの男については大方謎は解かれていたと思いますが。

主人公に感情移入できるか

次に、これまでの春樹作品よりも、主人公にあまり感情移入できなかった点も、物語としてあまり楽しめなかった点です。
主人公がなぜ妻に捨てられたのかわからないし、主人公は孤独で悲しんでるとはいえ境遇に恵まれていて孤独を楽しんでいる雰囲気すらある。
春樹作品の多くの主人公はたしかに、淡々とした語り口で、背景も多くを持っていない人間が多いかもしれません。それでも私がこれまでの作品で主人公に共感できていたのは、その「孤独さ」と「自分はこれでいいのだろうかという精神的幼稚さや焦燥感のようなもの」に依る所が大きいと思っています。
今回の主人公からは、そういったところが感じられず、あくまでよくできた、達観した、ある程度自分に自信をもった大人、といった印象を受けました。人間味を感じない、という言い方もできます。
最後に妻とよりが戻るところも、イマイチ「なぜ」よりが戻るのか、判然としない。実際の現実とはそんなものなのでしょうが、これは物語なので、妻側が主人公をなぜ受け入れるのか、理路整然とした理由はいらないにせよ、妻側のきっかけみたいなものが少しは描かれていた方が説得力があったのでは、と思いました。

サブ主人公、免色渉という人物

一方、サブ主人公ともいえる免色渉というスーパーキャラ。彼は過去作品でいう「綿谷ノボル」や「永沢さん」のように、現実社会の生活における完璧なる能力を持った者です。
今回の「騎士団長殺し」では、私は最も感情移入できる人物がこの免色渉でした。
彼はこれまでの「綿谷ノボル」などとは異なり、「欠陥と(多少の)善良性」を備えているキャラなのです。
もう少し付け加えると、彼のキャラクターは、明らかに(少なくとも、私には)、ギャツビーとレノックスがモデルになっていると思われるのです。つまり、フィッツジェラルド華麗なるギャツビー」のギャツビーと、チャンドラー「ロング・グッドバイ」のレノックスです。
ギャツビーは、むかし大恋愛をした女性を忘れられず、ただ立派な男としてその女性と再会したい、ただそれだけのためにストイックを重ねて立身出世し富裕層となり湾を挟んだ彼女の屋敷の向かいに自分の屋敷を構えます。ストイックなのに、その女性の前に出るとぎこちなくなる、などの特徴も含め、免色渉は限りなくギャツビーと重なります(免色渉の場合はその対象が「自分の娘であるかもしれない少女」であるだけで、設定が類似)。
レノックスは外見の「白すぎる美しい白髪」が全く同じです。レノックスに関しては共通点はおそらくこれだけなのですが、レノックスと重ねて読んでしまう読者からすると、この白髪だけで、レノックスのもつセンチメンタルが免色渉からも洩れて見えてしまうのです。
そんなわけで、一番感情移入できた人物、免色渉の物語をもう少し最後まで濃淡をつけてきちんと描いてくれていたら、もっとおもしろかったのにな、と思いました。免色渉と「自分の娘であるかもしれない少女」との関係は、結局ほとんど何の進退もなく、小説は終わってしまうところが非常に残念でした。実際の現実ではこんなものなのかもしれない(何も起こらない)。それでもこれは小説なのだから、免色渉が策を駆使してもっと少女に近づくが毛嫌いされる、とか、逆に少女が何かをきっかけに免色渉に心を少しずつ開く、とか、何かもう少しドラマがあればなあと。

「子供」の描き方

最後に、おそらく春樹作品では数少ないモチーフとして、主人公に「我が子」ができます。これもラストシーンとして雑かなと思ったところです。要は、下巻後半が雑なんです!
この「我が子」が正確にいえば「本当に自分の遺伝子をもつ我が子なのか、よその男の遺伝子をもつ我が子なのか、わからないが、とにかく戸籍的、形的には我が子」というものです。
そんな複雑な状況なら、現実では大きな葛藤が起こると思うんです、感情的な。そこが非常にさらっと描かれていて、主人公は最初から葛藤もなく「これが本当の自分の子供でも、よその男の子供でも、どちらでもたいしたことはない」といったスタンスなのです。そこを主人公の「成長」の象徴として描きたかったのかもしれませんが、その「さらっとさ」に非常に違和感を覚えました。

なんだかんだ言って

春樹作品はどれでも好きです。なぜなら冒頭に書いたように、彼独自の文体と世界観の魅力が大きすぎるからです。なのでおそらく私は一生、春樹作品を読み続けるでしょう、とびっきり美味しいワインを飲んだり、素晴らしい香りの入浴剤をお風呂で楽しむのと同じような感覚で。